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    <title>事業創造考</title>
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    <updated>2010-07-29T09:59:35Z</updated>
    <subtitle>仕事で遊べる人を目指して．．．</subtitle>
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    <title>伝家の宝刀</title>
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    <published>2010-07-30T07:47:49Z</published>
    <updated>2010-07-29T09:59:35Z</updated>
    
    <summary>　最近、タッキーは忙しいようです。携帯は架ってきますがドリームクルーザーはご無沙...</summary>
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        　最近、タッキーは忙しいようです。携帯は架ってきますがドリームクルーザーはご無沙汰です。

　１００年に一度の大不況を乗り切る施策をクライアントに施すため、日本中をキントン雲に乗って飛び回っているタッキー悟空ですからしょうがないのでしょう。

　最近、トレードマークの髭を摺り落としたと風の便りで知りましたが現物を見ていないので想像できない私でした。

　これまで彼の髭は夏に暑苦しいホウトウ鍋のように思っていましたがいよいよ諦めてあっさり冷やかな素麺になったのかと無理やり思い浮かべていた時、ドンピシャリで彼からの携帯が鳴りました。

　用件は良く解りませんがとにかく暇を見つけてドリームクルーザーを転がしたいといっているのだろうと勝手に解釈する私でした。

　あんな凄いものは質屋でも預かってくれないでしょうから利用されずに駐機しているのは場所代も馬鹿にならないはずだと思い込んでいる私はあのモンスターの母艦として使うアイディアを温めていたのです。

　彼の髭がホウトウ鍋と比喩したことを書いたのは初めてですが語感から直ぐに宝刀を思い浮かべました。伝家の宝刀を抜くとひんやり冷たい素麺のような刃風が起きるのでしょうか？

　彼のように宝刀の威力をまざまざと見せ付けて相手の肝を冷やすようなことが出来るなら良いのですが中味が竹光であったり、凄過ぎて反ってまったく理解できなかったりでは最悪です。

　私の事業創造では伝家の宝刀は決して抜かないことにしています。放蕩が過ぎて宝刀を質に入れなければならない状況に陥らないためにも宝刀の価値を生かすことの意味を良く理解し、その価値が生きる事業戦略を立てねばならないと思っているのです。

　この辺りの本音と建前をクライアントやパートナーに理解していただくことは至難なことです。まったく正反対の行動がとられるにおよんでも当人には認識がないことが多いようです。

　タッキーとの互いの近況報告の間、私の思考はホウトウ、放蕩、宝刀、素麺と目まぐるしく回っていたのです。彼にはまったく関係がないのでこれらの単語は一切私の口からは出ませんでした。

　携帯を切った後でタッキーには何か申し訳ないことをしたような罪悪感が残りましたが次のドリームクルーザーの来訪時には充分罪滅ぼしをしようと思った私です。

　自分にとって伝家の宝刀とは一体何かを何時も考えて意識しておくことが大事なことだと思うのですが私の宝刀は何なのでしょう？

　私が考える自分の宝刀は“売るほど悪いものではありません。”と言って売ることを拒否しているが信頼する人にはただで使ってもらい活用分野を広げるものだと嘯いているのでした。
        
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    <title>凄いことはローコストだ</title>
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    <published>2010-07-28T06:43:58Z</published>
    <updated>2010-07-27T10:36:29Z</updated>
    
    <summary>　私のお気に入りの新事業は皆構想が誇大妄想に思われてもしかたがないほどの際限なく...</summary>
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        　私のお気に入りの新事業は皆構想が誇大妄想に思われてもしかたがないほどの際限なく巨大化していきました。

　何故そうなってしまうのかと恨めしく思ってはいますが何処かで制限してコンパクトに纏め上げることが出来ないようです。

　出来ない理由は私の能力不足であるのか？事業化を急ぐ気がないのか？そもそも事業化などありえない蜃気楼を見てそこへ行こうと考えているからでしょうか？

　だが私にだけは厳然とした実体が毎日のように手にとって確かめられるのです。それが単なる錯覚ではないことを他人に解ってもらえるものを提示できるからこそ日一日と自信を深めていき、また地平線が遥か向うに遠ざかっていきます。

　それは黒部川扇状地が際限なく海に張り出していく状況に似ています。その過程で総てのビジネスモデルを巻き込んで扇状地をめぐる道路ネットワークのようにビジネスモデルネットワークを生成しているかのようです。

　暑さのせいで脳がメルトダウンしドロドロになってまた再合成されたようなもので正常とは言えないでしょう。だからこんな時には調子に乗って下らぬことを書いていても誰も本気にはしないでしょうから気が楽になります。

　そんな色んなビジネスモデルを幾らでも化学反応させると意外と凄いビジネスモデルに見えるようなものが鋳出されるものだと考えるのは私の何時もの自信過剰から来るのだと解っているのですが酷暑の中で見る蜃気楼とは違うと確信だけはしたいです。

　その最大の理由は私ですら創造でき構築できる凄いビジネスモデルですからそんなにお金はかかっていないはずです。

　投資できる資金が極僅かですから自ずとローコストな筈です。ですから世の中の中小企業なら何処でも出来るはずだと能天気に考えてしまいます。

　そうです、大企業が大量の資金をつぎ込んで行なう巨大事業は決して凄いことではなく当たり前のことで、貧乏な中でやむを得ずローコストに工夫された弱者のビジネスモデル創造と構築こそが凄いことなのだと嘯く私です。

　暑さだけでなく貧乏ゆえにメルトダウンしそうなビジネスモデルを沢山抱えることを逆手にとって新たなる融合モデルを創っているのだと我田引水したいのでしょうか？
        
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    <title>創業支援のネットワーク</title>
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    <published>2010-07-26T09:44:19Z</published>
    <updated>2010-07-25T10:39:31Z</updated>
    
    <summary>　創業前は事業創造に燃えて楽しいことばかりですがイザ起業してみると世間の冷たさを...</summary>
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        <![CDATA[　創業前は事業創造に燃えて楽しいことばかりですがイザ起業してみると世間の冷たさをひしひしと感じ出します。

　創業時、惨めで口惜しい思いをタップリ味わった私などはこれから創業する人には出来るだけ苦労はしても辛い思いはして欲しくありません。

　私の場合は能天気ですから辛いと思ったことはこれまでありませんでした。苦しい時ほど共に支えてくださる多くの支援者がいてくださったからだと思います。

　<strong>ロケーション事業</strong>を想起する過程で盟友田中さんがよく書いていたことがありますので以下に示します。

<strong>　日本的な縦型組織からは斬新な製品やサービスが生まれにくいと言われている。この限界を突破するための異才をロケーションセンターが水平的にネットワークすることをイメージしてみる。

　ロケーション事業は事業参加者により多重的に集積されるローカルコンテンツを通して色々の分野に新しい事業機会を提供することか可能である。

　多くのコンテンツ事業者がここに参集し、次第に内容が充実し広域化して行けば、これらの「位置保証」ネットワークはそれ自体、新規事業を興したいものにとっての「誘い水」となるのではないか。

　設立後間もない企業に冷たいベンチャーキャピタル、担保のない企業への融資に臆病な銀行など、お寒いベンチャー支援環境の実際は創業の志を萎えさせる方向に向いている。

　ロケーション事業において、定点であれ、移動点であれ、路線であれ、平面であれこれらの「視線と知覚」とが強力な「マーケッテングカ」、多様な「事業種子の保存力」を持つことになり、これを新規事業の誘発に向けてゆくことができるならば、ベンチャーを早期に立ち上げるフィールドになると考えられる。

　金融界が創業意志と熱意に賭けない文化であるとしても、日本人がベンチャー精神をなくしてしまったわけではなく、ベンチャー指向の個人や企業の数は多いと思われる。

　ロケーション事業が、たとえば「ベンチャー指南塾」などの形態で、一定以上に評価を受けた事業起案が、成功保証を担保する力とイコールであるならば事情は変わるのではないか。

　公募された事業案に、メンバーの中の賛同者が知恵と力を貸して具体化することも可能である。
　
　このようにすれば、アイデアと意欲と僅かな資金さえあれば起業者になることができ、ロケーション事業は誘蛾灯のようにしてベンチャー事業を吸引する求心力を備え、メンバーの自己増殖をおこす機能を持つこととなる。

　事業参加者にそれぞれの経営資源の登録を呼びかけ、メンバーが事業のアイデアを出し、賛同者が練り直し、具体化を起案して、事業者を公募し選任する。いわば「事業工房」とも言うべきものによって、メンバー自らがこの「事業種子」を生かして、事業を立ち上げてゆくのも良い。</strong>

　彼の文章は何時も小気味よく私の心を打ちました。如何してそのように書けるのかと聞くと何時も“あなたがそのように言うからだ。”と返ってきました。

　そんなことを言った覚えが私にはないとなるとこれ程無責任なことはありませんが多分自己弁護をすれば私の考えは直ぐに変化していくのかもしれませんね。

　だが創業を支援することを自らのビジネスモデルが未だ定まらぬ時、大言壮語している我々は大馬鹿者かもしれません。確実に馬鹿者です。

　そして今や<strong>ロケーション</strong>事業周辺で始まる起業志願者に対するファンド創設を真剣に語り始めた私達なのです。]]>
        
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    <title>自分は何ぼの者か？</title>
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    <published>2010-07-23T09:27:46Z</published>
    <updated>2010-07-22T11:03:38Z</updated>
    
    <summary>　毎日焼けるような日差しにさらされて半農半コンを続けると考えることが凄く原始的に...</summary>
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        　毎日焼けるような日差しにさらされて半農半コンを続けると考えることが凄く原始的になっていくようです。

　むせ返るような暑さは田の稲の中では独特の甘さ漂わせますが稲の株元を探して幼穂の長さを検査する一本を決定する時などは他の思考などはまったく排除していくようです。

　幾つかの株から数本を抜き取り用水に長靴の足を浸し畦に腰を下ろして順番に幼穂を露出させる時などは足は冷たいが手先は緊張して顔中から汗が噴出しているのが滑稽なくらいです。

　いっそ、用水の水で顔を洗いたい誘惑に駆られますがそこまで原始的にはなっていないようです。

　こんな検査に時間を掛けている暇はないはずなのにそんな時は汗が引くまでぼんやりとそのまま検査結果を受けての判断を先送りするのです。

　近所のおじさんが言っていましたが“穂肥の撒き時は何時にしろとは言えないよ。あんたの都合の良い日にやれば良いんだよ。”

　それを思い出したときはすっかり顔の汗が引き涼しい風が渡ってきました。適当にやっていても稲の顔を見て自分の予定に合わせてやるしかないものを見えないところを穿り返して検査などすることはないではないかと得心するのでした。

　それでも食べる分の米は毎年収穫できているのに何故、そんなことをする気になったのか恥ずかしくなってしまったのです。

　これまで一度もそんなことで穂肥のタイミングを選んだわけでないのに何を焦っているのか解りませんでした。

　自分が稲のことを理解して最適な管理が出来るなどと思ったわけではないのでしょうが己を知らぬ振舞いに見えてきます。

　どのようにやっても稲の環境対応力はとんでもなく高いのです。何千年も連作で人を養ってきているから稲自身が誇りを持っているのでしょう。

　何にも解っていない耕作者に対しても鷹揚に接してくれるのです。稲が凄いのであって私は何ぼの者でもないのだと教えてくれるジェダイのようです。

　そしてそれは私の半コンにも同じことが言える訳です。私の多くのクライアントが凄いのであって私がその凄いものに関われることが己の幸運であると感謝するしかないのです。

　こんな当たり前のことを自覚することが楽しいことに思えてくる酷暑です。
        
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    <title>起業の運試し</title>
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    <published>2010-07-20T03:09:25Z</published>
    <updated>2010-07-19T10:31:48Z</updated>
    
    <summary>　行きがかりで創業しなければならなくなった場合、運を天に任せるしかありません。と...</summary>
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        　行きがかりで創業しなければならなくなった場合、運を天に任せるしかありません。とにかく頑張るしかないという状況では若くして失うものが何もないということほど強いことはないでしょう。

　だがそこそこの人生を歩いてきて１００パーセントとは言えなくてもそれなりに生活が成り立っているのに敢えてリスクを冒すことを躊躇うのは当然のことだと思います。

　しかし心からやりたいと思っていたことを最後までやり遂げる手段として起業を選択するのであればこれまでの生活が一変することがあってもそれはリスクを取るとは言わず夢の実現に向って前進できる幸運なことだと考えるのが良いのではないかと思う私です。

　これまでの人生が人並みであって恵まれていると実感出来るならこれから挑戦する夢の実現に到る起業をするための蓄積がなされていると気楽に考えることで創業の自由度が格段に上がると能天気に思えるのです。

　そう考えると起業するタイミングを出来るだけ後に下げ、恵まれた状況の中で出来るだけの起業化後の状況証拠を積み上げることが最良の策だと思う私です。

　凄くずるいやり方だと思えるかもしれませんがせっかく創り上げてきた恵まれた現状を生かして、起業後の事業性を高め確実に事業戦略を遂行できる状況を創り上げ、その成功の確率を高めることを幾らやっても悪いことではないでしょう。

　また失うものが多いということはそれだけ多くの価値あるものと持っていることであり起業にあたっての資金や人脈、顧客になりうる見込み客に恵まれていることでもあると考えられます。

　そのように考えられる人が起業するのであればそれを支援する立場の私にとってはこれ程遣り甲斐のある仕事はありません。

　殆どリスクがない起業だと思うのです。だから自分の大事なものを惜しみなくその支援に注ぎ込んだとしても失う恐れを感じることがないのでしょう。

　この春から続けている創業支援は殊更今言ったパターンにはまっています。その起業家MHさんはあの苦境の人です。

　彼には絶えず苦境が襲ってきますがその苦境は面白いように突き破ぶられ新しい幸状況が生まれてきます。彼に苦境が襲ってくるということはとりもなおさずそれは私にも襲ってくるということです。

　だが今の私には襲ってくる苦境が如何のこうではなくそれがどのぐらいの間隔で好転するか若しくはそれを打ち破る新しい幸状況が生まれるかを楽しんでいるのです。

　彼の起業の運試しをリスクなく沢山行なえることに感謝しています。私にしたら何時までもこの起業準備期間が続いたらもっと嬉しいのですがMHさんには堪らないでしょうね。

　そんなわけで一日延ばしの起業Xディーは迫っているのでした。
        
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    <title>続・ロケーション事業と社会貢献</title>
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    <published>2010-07-16T04:38:30Z</published>
    <updated>2010-07-15T22:56:55Z</updated>
    
    <summary>　そしてまた盟友田中さんは以下のようなことも同時に書いていました。ロケーション事...</summary>
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        <![CDATA[　そしてまた盟友田中さんは以下のようなことも同時に書いていました。<strong>ロケーション事業</strong>の社会貢献に対しては非常な思い入れがあるようでした。

　<strong>災害は自身はもとより家族、親戚、親しい友人の、生命と財産を一気に奪って行く。一人暮らしの親が、単身赴任の夫が、学生時代からの親友が神戸にもいたはずである。

　全国から殺到した電話で回線が止まったとき、生き残ったインターネット回路が外部との接点となった。震災に限らず台風などの大型で、広域的な災害時には、確実に安否を確認できる健全なシステムとネットワークが生き残ることが必要である。
　
　それが地域の人命救助に重要な役割を果たしてくれるものと思われ、「救われる人」が「救う人」である仕組みである。一方同じ仕組みはまた「知りたい人」が「知らせる人」であるような仕組みでもある。

　ある家族がそれぞれの顔写真、血液型、年寄りの疾病、子供の立ち寄り先、夫の赴任先、いざというときに真っ先に安否を確かめたい友人の住所などを「電子地図アルバム」上に登録する。

　大勢の人がより積極的にこの仕組みに参加することは、日本的で情義的な地縁環境を電脳空間上で実現するだけでなく、非常時において誰にとっても切実なインフラとなって行くだろう。

　また一方、平常時においてはこれを人脈ナビゲーションシステムとして用いることが可能だろう。目的外に使うことが倫理的にどうかという意見もあるに違いないが、事業は人につきるし、有意なキーマンが事業を興すことは、重要な社会頁献でもあろう。</strong>

　確りとした位置保証の仕組みの上で交わされる義理と人情はやくざだけのものではないようです。

　現実の地域コミュニティでもしも情義的な地縁関係が希薄だったなら絶望的な状況を打開することが出来なかった事態に陥ったのです。

　それも当然の報いだと思わざるを得ないことでした。先週、突然訪れた地元の土地改良区の役員さんが言うには“今度の土曜日、都合が良ければ湛水防除の作業に出てくれないか？人が集まらないのでお願いしたい。”とのことでした。

　今まで私が一度も参加したことがない作業でした。だがこの梅雨の中休みをすり抜けてあのモンスターを駆け回らせることでリアル三次元空間構築システムの検証を一日も早く成し遂げたいと思っていた私の返事は連れないものでした。

　“雨が降らない限りはどうしても仕事をやりたいので申し訳ないがせっかくの誘いですが出れません。”と答えながら何故か少しうしろめたく感じたことを覚えていました。

　当日の土曜日は朝から雨模様でしたが次第に持ち直してくる感じでした。前日までは雨の間を縫って作業が順調だったので今日は休んでも良いかなと気楽に構えていたのです。

　だが遅い朝食を摂った時には空が明るくなりもう少し作業を前進させる慾が膨らんでくる私でした。

　せっかくクルーのチーフが来ているうちに少しでも計測を進め、計測作業の訓練も同時に積む好機を活かしたいと欲張るのでした。そしてそれは地域の義務を拒否したことをうしろめたく思っている現われだったのかもしれません。

　そしてその事件はその計測作業中に起きたのです。チーフがいるうちに難易度の高い場所を終わらそうと私が焦ったからです。

　河川上流まで遡り谷筋から尾根に登って行こうとしたときでした。突然工事通行止めの柵に阻まれました。仕方なくバックを始めた矢先、モンスターの右車輪が路肩のアスファルトを踏み外したのです。

　右下は数メートルの断崖で転落すれば最早当分この事業の継続は不可能であるとの思いが全員の脳裏を駆け巡りました。

　必死のリカバリー処置を試みましたが自力では困難であることを確信した私たちは助けを求めて各所に散りました。

　私が駆けたのは断崖を幾つも下った先に何台かの油圧ショベルを動かして土木工事をしている現場でした。

　地元の大手土木会社の看板が出ていたのを見て頼み込もうと息を切らせて駆け込んだのです。断崖の上を指差し事情を告げると二人の屈強な作業員は直ぐに作業を中断し私の頼みに応じてくれました。

　泥で汚れた油圧ショベルにホースで水をかけキャタピラーを軋ませて事故現場に向い始めたのでした。そしてもう一人は軽トラに飛び乗り私と後から私を追いかけてきたチーフを荷台に乗せて現場に先行したのです。

　何処の誰とも聞かず何をさて置いても救助に向う建設会社社員の姿勢に私とチーフは互いに顔を見合わせてホッとしました。

　事故現場に戻ると今回のクルーの一人である長男の剣が左の車輪に石を挟んで落下を防いでいましたが心なしか最初より崖に向って傾いているように見えたのです。

　かなり難しい状況でした。だが建設会社の社員は前向きで何とかしようと必死に引き上げ策を巡らせていることが良く解り私たちはこの際彼らに任せようと神頼み心理でした。

　そうこうしていると油圧ショベルがキャタピラーを軋ませて漸く登ってきました。そして彼らの挑戦的な救出作戦は成功しモンスターは微弱なかすり傷だけで生還出来たのでした。

　作戦が終わるやいなや油圧ショベルのオペレーターは“ああ！怖かった！”と一言漏らして急いでまた坂道を下って行ったのです。そしてもう一人の作業員も“それでは気をつけて。”と言って帰ろうとするのを私は自分から名乗り相手の名前を聞かずにはおれませんでした。

　何れ改めてお礼には伺う心算ですが引き返すとき彼らの現場を通り過ぎる際、こちらのお礼のクラクションに答えて笑顔で手を振っている二人の姿が目に焼きついています。

　<strong>ロケーション事業</strong>が社会貞献になるなど１０年早いと反省すること大でしたが事業構築を目指すことと地域の義理人情を大事にすることの間で複雑な気持ちになった私でした。]]>
        
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    <title>ロケーション事業と社会貢献</title>
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    <published>2010-07-14T03:57:40Z</published>
    <updated>2010-07-15T22:56:29Z</updated>
    
    <summary>　阪神淡路大震災の爪痕を住宅地盤の品質保証の観点から現地で精査した盟友田中さんが...</summary>
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        <![CDATA[　阪神淡路大震災の爪痕を住宅地盤の品質保証の観点から現地で精査した盟友田中さんが当時以下のように書いていました。

　<strong>兵庫県南部地域の震災では、人命救助に最も活躍した者は、実は町内の顔見知り達であって、近所の「ばあちゃん」や、隣の「じいちゃん」は地震直後の最初の数時間において救出されることで命を拾うことができた。

　消防や自衛隊の努力を上回る効果を発揮した、町内などの地縁共同体の迅速な活動から、地域防災とは実は地域コミュニティにおいて情報を共有する情義的環境、ソフトウェアであって、いわゆる「箱もの」作りに熱心な行政ではなかったことが証明されたようにも思われる。

　日常はコミュニティの些細な生活情報でしかないものが、実は防災情報でもあるとすれば、都市における防災問題は、「隣の人と滅多に顔を合わせない」という、地縁の断絶にこそあるのではないだろうか。

　また復興支援活動においてもボランティアなどの活動は大きく、政治や行政にまして、勇気と復興意欲とを被災者に与えたように思われる。

　このように防災とは当事者である住民の、相互依存的な直接的、間接的な関係のうえに多く期待されるものではないか。つまり情義的環境を支える「地縁情報」と支援ソフトウェアを整備することは震災の教訓を生かす一つの方法であると思われる。

　行政は耐震都市づくりなどのハードに多くの予算を裂くよりも、防災インフラである「地縁情報」を担保する機関となることにも多少の知恵と予算を使うべきではないだろうか。

　町内会などの小コミュニティにおいて昔の情義的な地縁関係を復活させようとしても今では無理があると思われる。しかし電脳的地縁情報ネットワークとして再生させることは可能ではないかと考えられる。</strong>

　今では皆が鬱陶しく思う情義という概念がいざという時の強力な防災力であると田中さんは書いていました。

　義理と人情です。こんなことが鬱陶しく感じることなく日常的に過ごせる地域コミュニティを復活させることが我々の<strong>ロケーション事業</strong>の大きなテーマであった訳ですがここのところのリアル三次元空間<strong>ArisMap</strong>の構築に感けて一寸忘れていたようです。

　特にこの梅雨時には町内会や土地改良、地元のボランティアから色んなイベントや作業への参加を呼びかけられます。本来は総て参加するべきなのでしょうが仕事を口実に多くを忌避している私です。

　地域をリアル三次元空間に仕立て上げた暁には一番最初にそれらの組織で活用してもらいたいとの想いがあるのにその本来の活用主体業務にあまり参加しないという矛盾に気づいている心苦しさはかなりのものでした。

　リアル三次元空間<strong>ArisMap</strong>は防災システムにはなくてはならないものであると思っている私たちは<strong>ロケーション事業</strong>によって社会貢献できるものだと考えてきました。

　だが私たちの<strong>ロケーション事業</strong>は現実の情義的地縁関係の外にいて果たして地域の義理と人情を受け取ることが出来るのだろうかと心配を始める私です。]]>
        
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    <title>カラスの思考</title>
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    <published>2010-07-12T08:50:21Z</published>
    <updated>2010-07-11T12:03:46Z</updated>
    
    <summary>　私の半農の成果を客観的に評価している審査員がカラスだとしたら彼に対して鬱積する...</summary>
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            <category term="徒然事業創造考" />
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            <category term="半農" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        <![CDATA[　私の半農の成果を客観的に評価している審査員がカラスだとしたら彼に対して鬱積する感情も少しは和らぐのではないかと思いました。

　この頃彼（勝手にオスだと決めていますがひょっとするとメスかもしれません。）はキュウリに拘っているようです。

　毎日一番形が良くなったキュウリから必ず５本を選んで食べてくれます。取り残して巨大化したものは絶対食べません。一夜漬けにぴったり合う最上のものから順番に食べるのです。

　だがそれ以上は食べません。持続可能な食生活を考えてのことか？私の堪忍袋が破れない限度を考えているのか？

　今年、私の畑を縄張りにしているカラスは少しユニークな個性が有るように思えてきた私です。最初は私を試すように意地悪い行動を重ねてきましたが私の性格が解って来ると協調性を示して来たように感じられるのです。

　春先の畝立時、何羽かのカラスがミミズを摘みにやってきましたがそのうちの一羽がしまを確保したようです。その彼は妙に馴れ馴れしい態度で私に近づいてきましたが私は何時ものように追い払うだけでした。

　トウモロコシや豆類の苗を植えると忽ち掘り出して悪戯を繰り返すのですが根気好く根が張るまで網を架けると近づきません。

　苗が根付くまでは保護をしろと言っているのかも知れないと思うようになりました。そのためこれまでは植えっぱなしであった他の野菜もカラスが嫌がりそうな支柱を立てたり囲いをしたりとまめになった私です。

　そのお陰で雨や風で苗が傷むことなく元気に成長して行ったようです。カラスに手を抜くなと言われたようなものでした。

　今のところ順調に育っている多くの夏野菜ですがカラスの好物はキュウリしかなさそうです。もう少しで熟し始めるトマトは彼が大好きなはずですがどのように分け前を与えるかをそろそろ考えねばなりません。

　キュウリに関しては支柱に絡みついて上に育つものに口を付けないようです。地這いになっているものから食べるようで蔓を上に持上げて支柱に這わせると飛び上がっては食べません。

　これも手抜きをするなと言っているようです。そして最近は食べた後がきれいで食べ残しがないことにより私の心証は随分好くなりました。

　トマトについては彼が食べる分だけ網で覆うことを止めた畝を作るべきか網からはみ出した分を彼の取り分にすべきかとばかばかしいことを考え始めたのです。そしてもう直ぐトウモロコシも分け前のルール作りに入る時期がやってきます。

　カラスは自分の行動によって人の考えも変えさせて自分が生きる環境をより快適に整えていく力を備えていると信じるだけの彼との濃厚な付合いが始まったのです。

　何れは<strong>猿の惑星</strong>のように<strong>カラスの惑星</strong>が生まれるのではないかと考えること自体私自身がカラスの思考に同調し始めたのかもしれません。

　人をその気にさせるために根気良く行動する点に於いてはカラスの思考は事業創造にも学ぶべきものが沢山あるのではないかと相変わらず能天気な考えを巡らせる私です。]]>
        
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    <title>信州にて</title>
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    <published>2010-07-09T10:21:28Z</published>
    <updated>2010-07-08T10:28:31Z</updated>
    
    <summary>　富山県の人は信州に憧れがあります。だがこれは私だけのことかも知れませんが我家で...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        　富山県の人は信州に憧れがあります。だがこれは私だけのことかも知れませんが我家では皆そうらしいです。

　妻に急の出張を告げると行先が信州だと羨ましげな顔をされるのです。県境を接していながら直接繋がる道路がありません。

　あるにしても日本一高い有料ルートである立山アルペンルートしかありません。勿論自家用車では行けないのです。

　そのことが近くて遠い憧れの高原イメージがあり住む人も純朴で教養もある理想の日本人に思える私です。

　１０年前までは年に何度も日帰りで信州散策に出かけていました。何度行っても飽きが来ないのは信州だからでしょう。善光寺や戸隠、志賀高原、美ヶ原などは何度行ったのかも覚えていないほどでした。

　だが半農半コンに突入してからは信州は甲府や静岡へ行く時の単なる経由地であり高速道路から外れることはまったくなくなっていました。

　それでも信州の山並みを眺めながらのドライブは飛騨や美濃の山々を抜けるドライブとはまったく違う風情を感じるのでした。

　光と匂いと風が違うのです。北アルプスで隔絶された両県は藩政時代は奥山廻りが監視しあう峻険な境界で一般人が入れるものではなかったでしょう。

　何をごちゃごちゃと言っているのかと思われますが要するに私は信州が大好きなのです。長野県ではなく信州が好きなのです。信州と言う響きが好きなのです。

　そして信州人といえば直ぐに真田を思い出す単純さですが真田十勇士に憧れた子供時代からそうでした。真田と言えばやっぱり信州上田です。

　そうです、私が言いたかったのは先週、その上田へ１２年ぶりに行ってきたことでした。光も匂いも風も好ましくそして人も真田十勇士でした。

　今回は長男の剣を連れにして出かけたのですが行先は信州大学繊維学部という珍しいところでした。

　上田城を久しぶりに堪能できればどんな用事でも構わないとは言いませんがそれほど仕事に託けて行きたかったのです。

　タップリと蕎麦と城を堪能した後、大学に向いました。繊維学部には沢山の真田勇士がいて忍者屋敷のようなカラクリが仕掛けられた実験棟が沢山並んでいました。

　そして真田勇士との語らいは今後何度もこの場所を訪れることを予感させたのです。我家も真田家三代のように“海辺の森林浴あん”にて根を生やすことが出来そうだと単純に喜ぶ私でした。
        
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    <title>適任の事業主体者</title>
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    <published>2010-07-07T09:14:51Z</published>
    <updated>2010-07-06T10:09:43Z</updated>
    
    <summary>　私のお気に入りの新事業には事業構想を考え始めた時点から本来の事業主体者は既に存...</summary>
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            <category term="半農" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        　私のお気に入りの新事業には事業構想を考え始めた時点から本来の事業主体者は既に存在しました。

　だがその事業主体者は何も自分が表立って大々的に事業推進をしたいわけではありませんでした。そのような事業を起こし、その事業構想の中で自分に合った居心地の良い場所が与えられるのなら贅沢は言わない人たちでした。

　そして私に於いては当然ですがそもそもその事業から一日も早く手を引くことが目標だったはずですがビジネスモデルの２．０化が凄まじくて何時まで経っても限が付かないのです。

　そうこうしているうちにもともとの事業主体者たる人達が遠慮するように後ろに下がり誰かが代わりをやってくれないかというが如く他人事に聞えるような発言が多くなるものです。

　こんなに大層なことを考えてくれと言った覚えはないと言っている様なものです。それはそれで理屈が通っているようで私には上手く反論できません。

　結局私が自分勝手にビジネスモデルを誇大妄想的に膨らませすぎたのでしょう。そう思うことにしました。

　だがそうは言っても私自身が事業主体者になるわけにはいきません。なれるわけがないのですから肥大化したビジネスモデルを今更リストラする気がないなららやはり真の主体者を見付け出すか創り出すかしなければならないのです。

　最近の私のお気に入りの新事業はビジネスモデルの滑稽なほどの巨大さからなかなか事業主体者を現実の企業からイメージして選定することが難しくなってきました。

　私自身が１．０ビジネスから２．０ビジネスへのトランスフォーメーションは殆ど不可能だと言っているわけですから見つからないのは当然だと思います。

　だがそうではありませんでした。見つからないのは私の探す視線に問題があったことに気づいたのです。

　そうです私自身が何時も言っている情報の本質を現している情報の三法則を無視していたからでした。

　自分では自分に必要な情報は手に入れることが出来ないことを忘れていたようです。そう考えると単純な私の行動は素早いのです。

　然るべき信頼できる友人たちに私のニーズをあの手この手で懇切丁寧に説明し始めるのでした。

　やはり情報の三法則は正しかったのです。自分は誰かのニーズの解決に奔走し自分のことは誰かにお願いして気長に待つしかなかったのです。

　待つことなく届く私のニーズ解決策はまさに目から鱗が落ちるものばかりでした。それは私がそれ以上望むことがない最適な事業主体者候補ばかりです。

　灯台下暗しと言えるものもありますがまったく存在すら知らなかった立派な企業もありました。そして知ってしまえばもう私のものです。

　適任の事業主体者が決まれば後は誠意をもって当たるだけです。だが当たって砕けるわけにはいきません。代わりがいないほどの適任ですから絶対外すことなど出来ないのです。

　この渉外がまた殊更ヒリヒリとして心をときめかせるほど楽しいことに思えてくるのは私だけでしょうか？
        
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    <title>梅雨時の事業創造</title>
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    <published>2010-07-05T09:22:54Z</published>
    <updated>2010-07-04T10:14:11Z</updated>
    
    <summary>　昨日は先週雨で延期になっていた裏の海岸清掃でした。だが前夜からの雨が明け方にな...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        　昨日は先週雨で延期になっていた裏の海岸清掃でした。だが前夜からの雨が明け方になっても続いていて先週よりも条件が悪いことは明らかでしたが後がないからたぶん決行されることは解っていたのです。

　レインコートを着ても着なくても着衣が濡れることは一緒ですが着ないことには様にならないしやる気がないように見えてしまいます。

　着れば汗が噴出し、着なければ当然濡れるのですが本音では雨に濡れていたほうが快適なのです。

　早朝の海岸は先月の小樽ほどではありませんが海霧が押寄せて来て幻想的でした。降雨のせいで川から吐き出されたゴミが海岸に沢山打ち上がるのは何時ものことですが殊更梅雨時は嵩があります。

　霧の切れ間からはすぐ沖合いでキス釣りをする船が何艘も見えました。適度な湿気と暖かな気温の中では霧や雨に濡れながら釣りをするのはさぞかし気持ちが良いものだろうと羨ましく思えたのです。

　清掃作業の終了を待ちかねてコートを脱ぎ、濡れることを楽しむために畑に駆けつけ収穫作業を開始する私でした。

　高温多湿を良として気持ちよく繁茂する木々や雑草、そして果樹や野菜を見るとこの時期を生物にとってはなくてはならない大事な時であると感じることが出来るのです。

　春の清々しさや夏の灼熱とは違う成長するためにはなくてはならない大事な時期であることが身体で実感出来るようです。

　この時期、物凄いスピードで成長するキュウリなどを見るとついこのあいだの収穫を心待ちにしていたことが嘘のようにこれでもかと言うスピードで実をつけ大きくなっていきます。

　毎日１０本ぐらいがカラスのご馳走になっていることを承知していても鷹揚に振舞える生産力です。

　事業創造にもこんな時期があるのでしょか？幾ら毎日成長を願い世話をしていても遅々として進展しないことが常ですがこの梅雨時の植物のように今が事業創造の繁茂時期ならと思わず考えてしまうのです。

　そういえば今年の私は何故か梅雨入りから動きが慌しくなってきたように思われます。高温多湿が快適に感じられる身体になったのでしょうか？

　朝から晩まで何度も汗びっしょりになりそれを避けるより好んで繰り返しているのです。何度も何度も着替えるより来客がない限り濡れたままでいても気にならないのです。

　どうせ直ぐ汗をかくのだからとそのままいても風邪をひかない快適な高温多湿は頭の中もスッキリとしてストレスが溜まらないのかも知れません。

　こんな時期こそが事業創造の成長期であると勝手に思い込み回転数を最大化する相変わらず能天気な私です。
        
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    <title>知らない世界</title>
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    <published>2010-06-30T03:17:55Z</published>
    <updated>2010-06-30T02:33:48Z</updated>
    
    <summary>　若い時、特に社会に出たばかりの時は総てが知らない世界であり初めて知ることの新鮮...</summary>
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            <category term="徒然事業創造考" />
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            <category term="半農" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        　若い時、特に社会に出たばかりの時は総てが知らない世界であり初めて知ることの新鮮さから自分も必死でその世界の人間になろうとしていました。

　知らない世界は次々に扉を開けて目の前に広がっていましたがその世界に驚くことなどなくただただ自分が同化することで大人になっていくような気がしていました。

　だが最近は知らない世界は知りたくない世界と同義であると思えることが頻繁に起こるようになり、私が如何に偏った社会しか知らずに生きてきたかを思い知らされるのです。

　知らない世界の存在を感じてしまってもその世界の住人は私の知っている世界では極普通に付き合ってきた人達でした。

　知らない世界を知ってその世界にも関わって自分の世界を広げることは素晴らしい事だと思ってきた私にはまったく理解できない幾つもの世界をまたに掛けた生き方があるということを思い知らされたのです。

　まったく価値観の違う世界を何の違和感も感じず行き来できる人達がいるということを知ったのですが今更こんなことを言っている私が初心なのでしょうか？

　そんなことは当たり前の事だと言われるのかもしれませんが私には理解に苦しむことでした。私と同じ善を共有していると思っていた人達が私の知らない世界で私が悪と感じる価値を当たり前のように正当化して過ごしていることを知った時、目眩がしました。

　まったく相反する価値、矛盾する価値観をどのように自分の心の中でバランスを取るのでしょうか？私の知っている世界での互いの共通認識をベースに相手の知らない世界での悪を問い詰めても暖簾に腕押しの状態であることを知り、自分の世界観が崩れてしまうのでした。

　相反すると私が思う二つの価値観、善悪とも言えることを自分の心の中で統合出来るのが人間だとしたら誰も人間を裁くことなど出来ないのではないでしょうか？

　具体的に言わないとこれでは何を言っているのか判らないでしょうね。何時かは必ずはっきり書きたいと切に思っている私です。

　こんなことが許される世界があるとは思いたくもありません。知りたくない知らない世界がこの世にはまだまだ沢山存在すると思うだけで腹が立ってきます。

　だがその知りたくもない知らない世界のビジネスモデルは素晴らしく巧妙なのです。その仕組みづくりには思わず引き込まれそうになりますが絶対許せないテクノロジーが組み込まれているのです。

　それは人を騙す、脅す、懐柔するということなのです。長いものには巻かれろと達観しろと迫ってくる世界なのです。

　垣間見た知らない世界にダイナマイトでも放り込みたい誘惑が湧きあがる私でした。そして何故その知らない世界のビジネスモデルは危機管理がまったくというほど存在しないのかが不思議なことでした。

　私から見ると大悪であることがその世界では善なのだと言っているようなものです。知らない世界の住人は私の知っている世界では社会的な地位や名誉がありながら何故なのか？単純な私には理解できないし理解したくもないことでした。
        
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    <title>言った者勝ち</title>
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    <published>2010-06-28T11:40:31Z</published>
    <updated>2010-06-27T23:02:40Z</updated>
    
    <summary>　誰も開発をしていないテーマが成果を現してきた時、その技術的内容だけでなくその効...</summary>
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            <category term="徒然事業創造考" />
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            <category term="半農" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        <![CDATA[　誰も開発をしていないテーマが成果を現してきた時、その技術的内容だけでなくその効用を上手く組み込んでビジネスモデルを新調するのも楽しいことです。

　そうすれば新しい技術開発が一つ完成したのとは違い多くの分野の頑張ってきた方々を同時に喜ばすことが出来ると思います。

　一つの素晴らしい技術開発がビジネスモデルの新調と一寸した気の効かせかたで何倍も楽しめるのですからやらない手はないと思う私です。

　開発者が嫌と言うわけがないと勝手に解釈するのは私の図々しさかもしれませんがそんな素晴らしい技術開発が出来る人なら許してくれるべきです。

　などと相変わらず自己都合で言っていますが実はそうでなければ私が困ることが最近起きたのです。

　それはあの素晴らしい<strong>e-mono-8</strong>の完成が間近いことが知らされたことを受けて多くの方が心待ちにしていた究極のソリューションビジネスが嘘でなくなる日が来るということでした。

　それはこの<strong>e-mono-8</strong>の完成を確信してそれを前提にしたビジネスをリスクを取って進めていると大袈裟に開発者に伝えることによって潜在ニーズの大きさを知ってもらうことを心掛けてきました。

　少しでも早く世に出し、ビジネスモデルの真価も問いたかったのです。

　以下のように開発者との窓口を務めているタッキーには何時ものように時間が取れるとメールを送り続けていました。

　<strong>「この４月からリアル三次元空間計測車を手元に駐機して隣県のコンクリート構造物長寿命化アセットマネージメント手法の開発に関っています。

　製造業で標準で使われている当たり前の概念で構造物の変位と劣化予測がカルテとして生成出来るところまでこぎつけ県も今後この手法で全県展開を決めるようです。
 
　これまでは目視によるひび割れ点検とハンマーによる打音試験を漫然とするしかなかったところを点検箇所のピンポイント化が可能になり点検保全作業の高品質化と高効率化が同時に成し遂げられそうですよ。
 
　汚くひび割れが甚だしい老朽構造物にe-mono-8を吹きつけることで外観をリセットし、その後のひび割れのみを劣化診断の対象とすることで予知確度を大きく向上させることが出来るのではないかと思うのです。
 
　そして今後はその他の一般的な構造物の変位について解析手法の開発にかかる予定ですがここでも診断と補修ソリューションがセットでなければただの狼少年になってしまいます。
 
　また私が毎日半農で学んだことは日本の農業用設備、特に用水路、排水路、畦畔の驚くほどの劣化です。食料増産など夢のまた夢でしょう。

　もう直ぐ取り返しのつかない状態になり自分の食べる分だけ隔離して作ることになるでしょう。大規模化がもたらす農村環境破壊がまさにコンクリート文明の終焉を予感させるのです。
 
　ここでも補修ソリューションとしてのe-mono-8の活躍の場は大きいでしょう。
 
　そんなわけで一日も早いe-mono-8の開発が待たれます。状況は如何ですか？」</strong>

　早朝からの激しい雨で外仕事を完全に諦めた時の私は何時もよりもことを大袈裟に伝えたのですがその日の昼前にはタッキーからの携帯が鳴ったのです。

　何処にいるのか言わず上ずった声で“詳細は改めて話しますがあれは完成しました。近々サンプルを送れますから楽しみにしていてください。”と言って電話が切れました。

　何となく言った者勝ちの気分になった私です。]]>
        
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    <title>一息つくのは変化点</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.noahkikaku.com/mt3_2/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=4/entry_id=1285" title="一息つくのは変化点" />
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    <published>2010-06-23T03:29:15Z</published>
    <updated>2010-06-22T13:15:17Z</updated>
    
    <summary>　何も上手く行っていないのに何故かホッとする時があります。出来る時に出来ることを...</summary>
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            <category term="半農" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        　何も上手く行っていないのに何故かホッとする時があります。出来る時に出来ることを出来るだけ沢山こなそうとするのは私の悪い癖です。

　やってさえいれば必ず目的が叶うとは思ってはいませんがやらずにはおれない貧乏性です。

　無理を承知で周りから止められるのも聞かず何とか立て直そうとやってきたボランティアコンサルティングの一つに一息ついたのは突然の怒りからです。

　今まで幾らでも同じような局面があっても怒りを感じることなどありませんでした。だが何故その時怒りを感じたのか解りませんでした。

　それぐらいは許してもらえると見極めたかのような図々しさが好ましく感じる時は何処までも出来ることならやってしまう性格かもしれません。

　だがそのようなやり方が事業創造に良い結果を与えないことは内心知っていながら止めることをしない私でした。

　そして一度怒りを感じた途端、憑き物が落ちたようにさばさばした気持ちになりホッと一息ついたのです。

　如何してこんなことに拘って成果が出るはずのない行為に時間を割いてきたのかが不思議に思えるのです。

　だがそんなことにも何がしかの意義があり大きな反省点と言う成果を残してくれたことは確かです。一息ついてホッとした心のゆとりで省みると色んな事に気づきます。

　どんなビジネスにも私のお気に入りの新事業のビジネスモデルが適用できないかと考えることは何時ものことですが何処までのものが自分の実力で可能なのかはやってみないと解らないのです。

　やってみる価値があってもそれが上手く出来ないのは私の能力不足が最大要因であることは解っていますがやってみて初めて限界が解ることに意義を感じるのです。

　限界を認識すれば他の事業創造で努力する点が一つはっきりするのではないかとホッとしたゆとりで鷹揚に考えられるのです。

　他人から見たら考えられない浪費をしているのでしょうがそれを惜しいと考えないところが私の半農半コンの利点なのです。

　雷鳴から一転、慈雨が降るように怒りは一息入れる変化点かも知れないと相変わらず能天気な私です。
        
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    <title>不信の芽生え</title>
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    <published>2010-06-21T13:47:48Z</published>
    <updated>2010-06-20T09:16:04Z</updated>
    
    <summary>　情報システム事業の成否はこれ総て信頼のネットワークの成立にかかっています。信頼...</summary>
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        <name>半農半コン人</name>
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            <category term="半コン" />
            <category term="半農" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        　情報システム事業の成否はこれ総て信頼のネットワークの成立にかかっています。信頼とは不思議なものだと思います。

　昨日まで鉄壁の信頼ネットワークが構築され事業創造の成功を何一つ疑うことが無かったのにある日突然胸騒ぎがするほどの疑惑が湧き上がる時があります。

　疑惑と共に人は心を蝕み老いるのが解っていながら疑惑が湧き上る瞬間に立ち会わないわけにはいかないようです。

　あれほど信頼していたはずなのに何故突然暗雲が立ち込めるように疑惑が湧き上るのでしょうか？信頼はウルマンが言うような青春の定義そのものの上で成り立つものです。

　信念が揺らぎ自信を失い希望を持てなったとき人は信頼する気をなくしてしまうのでしょう。そして老い朽ちるのでしょう。

　こんなことをあたりまえに解っていながら不信が芽生える時は必ずやってきます。だがあってもそれを受け入れてそのことを相手に告げる勇気があればまた違う信頼が醸成されるのではないかと考えるのです。

　疑惑を自分自身の中に閉じ込めていけばその疑惑は果てしなく増幅され不信は際限なく現実化します。

　私はこれまで多くの人から疑惑を抱かれたと自覚することが何度もありました。だが自分でその不信感を払拭する努力は一度もした経験がありません。

　自覚しながらその疑惑を晴らそうと積極的に動いた記憶が無いのです。そして今なら何故そうしなかったのかという理由はハッキリと言えます。

　それは疑惑は不信を抱いた本人が自らがそれを相手に問い、真実を確かめるしかないと思うからです。

　それは多分そうとう辛く自らを辱めることになることでしょう。だが不信の芽生えがその後の疑惑の増幅を起こさないうちに自らが問い詰めて明らかにするしかないと思うのです。

　真に信頼を維持し事業創造を確実に成功させるにはそうするしかないはずです。信頼が揺らぐ状態で上手くいくはずはありません。

　自分に対する不信の芽生えを放置することはあっても自分の心のなかに芽生えた不信はなにをおいてもその真贋を先ず確認することに然ることはないと思えるようになった私です。

　その確認は多分、五分五分の確率で真贋が解ることでしょう。その辛さから逃げるよりその結果のショックを糧に次を目指すぐらいの戦闘心がなければ信頼の二文字は絵空事になるのでしょう。

　などと言っているのは余程の疑惑を私が抱いたと白状しているようなものです。
        
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