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    <subtitle>仕事で遊べる人を目指して．．．</subtitle>
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    <title>醗酵の館（5）</title>
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    <published>2012-02-06T03:26:44Z</published>
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        　最近の農業ベンチャーはＩＴを使いこなすそうです。当然のことなのでしょうが醗酵の館で思う私にはＩＴもしくはＩＣＴよりもＦＴもしくはＦＣＴの方が重要なのです。

　現在のＩＣＴを広い農場に適用するには莫大な電力エネルギーが必要です。市販のＩＣＴ機器はグリッドからの電力供給が前提でないと上手く便利に使えません。

　その上、それらの情報処理を働力にリアルタイム伝達し稼動するとなったらこれまた大きな動力エネルギーの投入が不可欠なのです。

　生きている限り、高々１００ワットでサスティナブルに稼動する我々人間の効率的な生活システムが途端に何十倍、何百倍のエネルギー浪費を開始するのです。

　まさに小泉武夫先生の「醗酵が地球を救う」、ＦＴ革命が疑いなく身体全体で確信できる醗酵の館なのです。

　最近の先生は革命家の面影があまり感じられず美食家に転向されたのではないかと思われるふしがあります。気のせいでしょうが今こそもっと声高にＦＴ革命を訴えて欲しいものだと思っている私です。

　ＩＴがＩＣＴとなったのはＣのコミュニケーションが重要性を増したからでしょう。だが私がＦＴをＦＣＴにしたいのも同じくコミュニケーションの存在が微生物社会に大きく影響していると感じたからです。

　漸く感じることが出来るようになったと言ったほうが正しいかもしれません。それも自分の体内細胞、特に血管やリンパ節にいる白血球などが腸内微生物と交わしている免疫戦略会議の実況や酵素風呂内に何百京個と存在する乳酸菌を司令塔とする醗酵菌との提携会議の内容がぼんやりイメージできるような気がするからでしょうか？

　こんな馬鹿なことを素直にイメージしてリラックスできることが健康にとって悪いわけがありません。没楽天思考が醗酵の館、効用の一つだと思います。

　脳の指令を経由せず細胞と細菌がどのようにコミュニケーションをするのか？その情報伝達媒体は一体何なのか？などと詮索したり、突き止めようなどとは考えることはありません。

　そう感じられたならそれで良いではないかと考えることでＦＣＴ革命が始まるのだと相変わらずのいい加減さです。

　だがこのようにいい加減に考えることと、そのことが実際に体内で起こっていることをイメージできることで十分だと思うのです。

　京と名づけられたスーパーコンピュータは莫大な電力を消費しているはずですそれに対して我々の有機エレクトロニクスシステムは外部から一切電力を供給されていないのです。

　どちらが凄いかなど明らかです。一つの計算をすばやく実行するために行うことと全ての判断を全てのデバイスに対して瞬時に与える計算とその実行までを無電源でやっていることの方が凄いに決まっていると能天気に考えられるのが醗酵の館なのです。
        
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    <title>きれいな別れ</title>
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    <published>2012-01-10T05:20:41Z</published>
    <updated>2012-01-10T05:26:30Z</updated>
    
    <summary>　新しい年が来て、もう10日目です。身体が脱皮して漸く世間の風に晒されても大丈夫...</summary>
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        　新しい年が来て、もう10日目です。身体が脱皮して漸く世間の風に晒されても大丈夫な気分になってきました。

　昨年末までは半農半コン仕上げの時期が近いと感じ、妙に力み過ぎていた私でした。

　三人の母（産みの母、育ての母、妻の母）が揃って何時逝ってもおかしくない状態が続いていたのです。どちらが先などとは予想すら出来ませんでした。

　ともに人生最終コーナーを同時に回ったと感じていたことだけは確かでした。成るように成るしかないと考え、それまでを仕事で気を紛らわしていたのかもしれません。

　その中で唯一気持ちの救いは父（実父）が多少体力は落ちてもまともな会話が出来、時々は一緒に見舞いや買い物に出かけることでした。

　取り留めない話しかしませんがこんな時がやって来るなど想像もしませんでしたから不思議な気分だったのです。

　父の生きがいは母の最期を看取ることであることはいつもの言動から明らかでした。“苦労掛けた。”と漁に明け暮れて長く家を母だけに託していた昔のことを何時も話していたからです。

　三度目の忘年会が済んだ翌23日、天皇誕生日の朝、兄から母が危篤との連絡がありました。こんな知らせは今年何度目だったかな？と軽く考えて病院へ向かったのです。

　結果は寸でのところで臨終に間にあいませんでした。父や兄家族も先には着いていましたが同じく間にあわなかったようです。

　亡くなった母を家に連れ帰る手配を終え、葬儀屋さんの車を待つまでの間、兄と二人だけで皆と離れて葬儀のことで話し合いました。まずは喪主を誰にすべきか？でした。

　足腰の弱った92歳の父では大変だろうから兄が務めるということで意見は一致しましたが念のため父の気持ちを私からさりげなく確認することにしました。

　疲れたため車椅子に乗って母の傍で俯いていた父に近づき話そうとすると突然顔を上げた父は私に向かって“喪主は俺がする。”と言い放ったのです。

　我々の意図を薄々感じていたのでしょうか？言い返すことは出来ませんでした。そのことを兄に告げ、名目上の喪主は父で、実質的なことは兄が務めるということを決めたのです。

　だがこの強い父の意志もここまででした。この後続く一連の葬儀において父は喪主の役目を果たす体力は全くありませんでした。

　私が押す車椅子に乗って皆と同行することが精一杯だったのです。兄に全てを任すと言っても良かったのにと私が言いかけるのではないかと恐れているように取れるのでした。

　父は葬儀の合間や終わったあとも身体が冷えるようで、私の用意した強力は遠赤外線ストーブの前に寝転び、足裏マッサージを際限なく要求するのでした。

　余程気持ちがいいのか何時までたっても「もう良い」とは言いませんでした。私は毎日時間を見つけてやり続けようと思ったのです。

　年末年始の酵素風呂あんの長期休業中は自家風呂として父を入れ続け、温かいストーブの前で時間の許す限りマッサージをしようと思ったのでした。

　自分の妻の実家を継がすために私を養子に出した経緯、その後に起きた私をめぐるトラブルなど気持ちが良くなったタイミングで順不同に話し始める父でした。

　最初は私に対してみっともない言訳を言い始めているのではないかと思って聞き捨てにしていた私でしたがあながちそれだけではなさそうだと思い直したのです。

　10日間に渡ったこの奇妙なふれあいの間に父が語ったことは、父と母の結婚の経緯から今に至る父母と私との離隔がはっきり浮かんでくるような話の濃さでした。

　そして11日目、新年1月3日の朝、尿管結石で大晦日に緊急入院していた父は突然息を引き取りました。今回も母の時と同じに誰も臨終に間にあわなかったのです。

　前日、病院ベットで行った足裏マッサージでは初めてもう良いから帰れと言ったことが印象的でしたが多くのひ孫に囲まれ上機嫌であったことは確かでした。

　もう喪主で迷うことはありませんでした。慣れた手順で兄は完璧に喪主を務め葬儀は滞りなく終わったのです。

　四十九日までは一つの祭壇に二つの骨甕と二つの位牌、そして二つの遺影が仲良く並んでいます。その日までの仏事やその後の仏事も日を併せて一度に行うことも決まりました。

　二人の遺影写真は私が以前一緒に旅行に連れ出したとき写したものを強引に採用したことで自分の気持ちに整理がついたようです。

　事業創造でも誰かに望まれて生まれてきたものでなければマーケットは拓けないですが少なくても私自身も父母に望まれて生まれたのだと感じられたきれいな別れでした。
        
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    <title>醗酵の館（4）</title>
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    <published>2011-12-17T09:08:22Z</published>
    <updated>2011-12-17T09:15:19Z</updated>
    
    <summary>　我が醗酵の館の支配菌は好気性です。気前好く空気を鋤きこむことで元気溌剌していま...</summary>
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        　我が醗酵の館の支配菌は好気性です。気前好く空気を鋤きこむことで元気溌剌しています。

　毎日、最終のメンテナンス業務のうち力仕事である空気鋤きこみのための攪拌作業はありがたいことに私に任せられることが多くなりました。

　館内がもうもうとした蒸気につつまれ身体中がぐっしょり汗まみれになっていく過程は今の寒い時期ほどうれしく感じることはありません。

　入酵中とは違う身体の喜びようを噛締めながら味あうことが出来る約10分間です。20分掛けてゆっくりと味あうことも出来るのかもしれませんが私は何時も10分以内で終わらせてしまうのです。

　脈拍が速くなり気持ちの好い鼓動を聞きながら大きく息を吸うとき大量の酵母が一気に体内に入り込んでいく感覚がうれしいのでしょう。

　昔、タッキーと一緒に潜った釧路沖の太平洋炭鉱を彷彿します。高温で湿度100パーセントは同じようなものでした。鼻の穴まで真っ黒になることは出来ませんが何か似ているのです。

　過酷な地底労働だと思っていましたがなぜか働いている皆さんはその環境が大好きだったのです。きっと今の私と同じで頭も身体もすっきりして気持ちが好かったのでしょう。

　微生物が喜ぶことだけ考えてひたすら鍬を振る時、頭は真っ白です。一日一回このような時間を持てる日が来るなどとはこれまで考えたことはありませんでした。

　妻たちが喜んでこの役割を独占しているものだと思っていたのですが最近では少し持て余していたのかもしれません。

　そこに良い鴨がやってきたようなものです。今の私には願ってもないことでありがたいことでした。

　だが高温醗酵による温浴を期待する私たちの目的はこのことで十分達成されてはいるのですが、これが本当に微生物にとって好ましい状態なのでしょうか？

　自然の摂理に則っているとは思えなくなってきた私です。自己都合にはすごくあっているのですが微生物たちには苦行を強いているのではないか？と考え始めるのでした。

　だって自然の状態ではこんなに高密度で高温醗酵はしないでしょう。自然はもっと疎ではないかと思うのです。

　やっぱり時々はゆっくり休ませてあげることが大事であり、そのために酵素風呂あんの休みは何時も長期間なのだと都合のよい理屈に落ち着く私です。

　と醗酵の館で考えることはこれまでの何でも有とは確実に違うようです。

        
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    <title>醗酵の館（3）</title>
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    <published>2011-11-24T06:59:20Z</published>
    <updated>2011-11-24T07:06:04Z</updated>
    
    <summary>　今月の半ば、久しぶりに遠方より黒部の私を訪ねてくださったお客さんがいました。 ...</summary>
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        　今月の半ば、久しぶりに遠方より黒部の私を訪ねてくださったお客さんがいました。

　積もる話があり過ぎてお互い言わねば損だとばかりに蓄積された話題を消化していました。

　粗方の話題が終わったと思われたそのとき件のお客さんは言われたのです。“今年は大変なことがいろいろありましたが私は本当に恵まれていると思います。”と。

　彼が言うには年初より信じられないほどの苦難が次々とやってきたため、必死にその解決を図っているうちに将来に対する光明がはっきりと見えてきてチャンス到来と実感できたそうです。

　そこでまた二人でそのチャンスを如何に活かすかを話し合うことになったのです。

　如何に優れたノウハウや経営資源を有していて、マーケットでも優位を保っていても、団結力、組織力で秀でた企業に勝つことは難しい。

　事業創造は信頼のネットワーク構築が優先するはずである。信頼のネットワークを構築するには、新しい概念の事業構想とその成功へ至る事業戦略、そして推進シナリオの提示が最低でも必要だなどとごたくを並べる私でした。

　醗酵の館の中で考える私の流儀では我々が支配菌となり日和見菌を信頼のネットワークに参加させることが成功の最低条件となるのです。

　「天時不如地利　地利不如人和」天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。

　孟子が謂う通り、チャンス到来を受けて地の利の優位性を確実に確保するための我々の戦略を遂行するには人の和こそ最も大事だと二人で大いに盛り上がったのです。

　私の情報システム事業概念からすると当然なのでしょうが自然界では孟子様まで持ち出さなくても当たり前のことなのかもしれませんね。

　人間の生臭い欲望に絡んで微生物の働きを利用することが許されるのかと考えるのですが、所詮自分の都合で善玉や悪玉や日和見と微生物たちを区別する私たちから救いようのない業は簡単には消えないでしょう。

　これまで私の中では田畑の土壌中と人間の腸内は醗酵の館の中と全く同じ理屈の微生物世界でしたが人間社会も全く同じ世界だと改めて知らされました

        
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    <title>醗酵の館（2）</title>
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    <published>2011-11-13T07:06:03Z</published>
    <updated>2011-11-15T09:31:25Z</updated>
    
    <summary>　醗酵の館の中で無心になって考えいる時、今までの考え方と全く違う視点から発想して...</summary>
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        　醗酵の館の中で無心になって考えいる時、今までの考え方と全く違う視点から発想していることがよく分かります。

　こんなにも面白いことがあるものだと毎日が楽しくなりました。色んなものを醗酵させてみるにはこの館の中ほど都合の良い場所はありません。

　なし崩しで実験を繰り返す私を咎めるより、自分も興味あることを試し始めた妻は低温調理に夢中です。

　地熱の地獄蒸料理が羨ましいと何時も言っていましたが自分の酵素風呂の中での醗酵熱による低温調理が面白くなってきたようです。

　それはさておき、私の発想の視点が大きく変わってきた最大の功労者は醗酵の館の主役である微生物です。

　人にとって都合の良い有機物の微生物分解を醗酵と呼び、都合の悪いものは腐敗と言ってきた私たちは醗酵菌を善玉菌、腐敗菌を悪玉菌とも言ってきたのです。

　だが自分を微生物に例えれば人間社会も雑多な微生物社会でもあるのです。自分が善いと考えることを行うのに理解を示した人を善人だと思うことは大きな勘違いなのです。

　自分が善いと思うことに反対したり、邪魔をしたりする人を悪人だと決め付けることもとんでもないことのようです。

　悪人から見て善人こそが悪人そのものなのでしょうね。単に立場の違いであり、自分の役割を粛々と実行したいだけなのでしょう。

　醗酵の館の管理者が善と考える菌の快適環境を整える努力によって管理者に都合のよい自分が善玉菌という菌が環境支配者になり悪玉菌を抑えて目的の醗酵状態へ導くのです。

　善悪といえば分かりやすいため自分の都合だけ考えれば何の疑問も湧かなかった発想法でしたが一寸管理者が気を抜いたり、手抜きした場合、たちまち異臭が発生し悪玉菌が活性化してきたことを知らされるに及び、その管理態度を是とすれば当然の帰結であるその悪玉菌優勢の環境こそ望んだ状況なのだと考えざるを得ないのです。

　悪玉菌がはびこる劣悪環境を退治すべきと張り切ってがんばる善玉菌は本人の想いは別にしてその安定した腐敗環境に安住する多くの日和見菌からはとんでもない迷惑菌なのでしょう。

　人間社会と同じで微生物社会のマジョリティは日和見菌です。支配菌が変わればどのようにでも柔軟に変質していけるのです。

　事業創造もそこまで菌世界を知り尽くす必要があるのではないかと入酵時の転寝の中でぼんやり考える私です。
        
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    <title>醗酵の館（１）</title>
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    <published>2011-10-25T06:43:13Z</published>
    <updated>2011-11-13T07:05:19Z</updated>
    
    <summary>　酵素風呂資材の余りを畑の土壌微生物増強に役立てようと世間一般の米糠ぼかし作成セ...</summary>
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        <![CDATA[　酵素風呂資材の余りを畑の土壌微生物増強に役立てようと世間一般の米糠ぼかし作成セオリーから外れた我流ばかし製造に嵌っています。

　夏の真っ盛りにやれば醗酵はいとも簡単ですがこれから冬に向かうこの時期は夜間の気温低下が堪えるのです。

　我が家には乳酸菌を中心として一次醗酵済米糠まぶしのヒノキのオガ粉が常備されていますからそれを一寸失敬して活用しない手はありません。

　何しろ既に微かに酒の香が漂っているわけですから簡単に大量のぼかしが複製増産できるはずなのです。

　だがやっぱり夜間外気の冷たさは微生物には堪えるようで車庫の中に置いたとはいえ、思ったようには初日からの温度上昇は認められませんでした。

　湯たんぽか電気マットで加温でもしようと考えました。妻に小型の電気マットの仕舞い場所を尋ねたところ、“お風呂の中へ入れれば簡単ね。だが今は邪魔になるから止めて。”と拒否されました。

　最適な答えがあるのに邪魔だとの一言で片付けられたのです。結局、電気マットは妻の教えてくれた場所にありませんでした。多分廃棄してしまったのでしょう。

　酵素風呂の片隅に押付けて置けば決してお客様の邪魔にはならないはずだと考え直し、妻には内緒で採寸を始めたのです。

　その日のお風呂のお手伝いさんは順子さんで、彼女に“何をするんですか？”と尋ねられたので、“この隅にあのプールを置こうと思うんだ。邪魔にならないよね？”と話しました。

　“一度に三人が薫香されるときは邪魔だけでここのところ大丈夫ですよ。良いんじゃないですか。”と現場責任者の許可が下り、妻に見つかる前に運び入れてしまったのです。

　お温度と湿気十分の酵素風呂は瞬く間に私のぼかし醗酵環境を改善し、３時間後には早ほんわかしてきました。そしてその日の営業終了時には完全な醗酵状態に入っていたのです。

　順子さんが許可したことでもあり、妻はあっさり現状を認めてくれました。彼女にとって酵素風呂の威力を確認できたことのほうがうれしかったのです。

　もういつでも畑に投入できる状態になってきた我流ぼかしは果たして期待通りの働きをしてくれるか？私にしたらこれで用が足りたならこれほど楽なことはありません。

　一寸欲しいと思ったときに、必要な分を製造できる材料、環境がそろっているからです。米糠ぼかし作りの常識にとらわれない種菌、酵素がふんだんに培養されている現状を農に利用しない手はありません。

　そんなうきうきした気持ちの朝食時、見ていたＴＶでインフルエンザ・ウィルス感染についての話題を取り上げていました。

　空気が極度に乾燥するとインフルエンザが流行し始めるといわれ、それも相対湿度ではなく絶対湿度がいくらかで決まるということでした。

　風邪に罹りそうな感じがしたとき、すかさず酵素風呂に入って安心したことは数多くありました。酵素風呂の部屋は熱気と湿気がむんむんです。

　今まで酵素風呂の中がどの程度の絶対湿度であるかなどとは思っても見ませんでした。思ったが最後、調べないわけには行かない私ですから早速ネットで<a href="http://www010.upp.so-net.ne.jp/catwalk/humid/"><strong>乾湿計の読みから相対湿度・絶対湿度を計算するサイト</strong></a>を探したのです。

　温度と相対湿度と標高を入力すると簡単に演算し、表示してくれました。何とその時の容積絶対湿度が22.37ｇ/&#13221;だったのです。

　仙台市の医師会のホームページからえた情報では11ｇ/&#13221;以下でインフルエンザが流行るそうです。我が酵素風呂はインフルエンザ・ウィルスが生存し得ない極悪環境だったのです。

　そのサイトでの計算結果から、二つの不快指数が表示されていて「暑くてたまらない」、「ほぼ全員が不快」となっていました。

　目的意思がはっきりしている人には不快ではないと信じますがインフルエンザ・ウィルスには確実に全員不快なのでしょう。

　このことを妻に告げるとうれしそうに笑っていましたので当分私の醗酵の館利用は許されることでしょう。]]>
        
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    <title>楽して農</title>
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    <published>2011-10-20T05:56:50Z</published>
    <updated>2011-10-20T03:38:40Z</updated>
    
    <summary>　日の出が遅くなったせいで私の朝食前スケジュールは非常にタイトになってきました。...</summary>
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        　日の出が遅くなったせいで私の朝食前スケジュールは非常にタイトになってきました。特に昼間が晴天になりそうな朝は最近気に入っている酵素液の葉面散布仕事が割り込んでくるのです。

　朝の早かった初夏などは余裕で途中の道草が出来ましたが今は地域の情報が全く入ってこなくなりました。

　兄が少し離れた田んぼを果樹園にして張り切っていたところへも寄り道することも絶えてなくなりました。

　このことを少し気にしていた私は休日の午後、遠くから軽トラがあることを確認して彼の果樹園へ出かけたのです。イチゴの苗を分けてもらうことを口実に考えるのは少し無理があるのかもしれません。

　“イチゴの苗、余っていないか？”と声を掛けながら１０アールの兄の果樹園に入っていきました。私が彼のフィールドに入っていったときは何時も兄は多弁です。

　イチゴの苗のことは後回しで彼が今抱えている難問を一気に吐き出すのでした。如何に今が急がしくて仕方がないかを言っているようなものでした。

　そして作柄が思わしくない状況を一つ一つの果樹を順番に私に説明してくれるのです。あまりにもたくさんの種類を密植しているように何時も思えてしょうがない私ですが説明を聞きながら理解したのはその種類の多さは私の想像した以上だと言うことでした。

　何故そんなに手当たり次第に植えつけるのかが分からない私です。“今までやってきて簡単に育つ美味しい品種に絞ったら楽なのに。”と言っては見ましたが兄には通じてはいませんでした。

　苦難に打ち勝つための荒修行を続けているようにも思えるのですがどうもそのようでもなさそうなのです。

　活き活きと元気に育つ植物を見ると自分も元気になります。そのためにこそ多少の苦労をしても報われるものがあるはずです。苦労に苦労を重ねて元気のない植物を育てる意味がどこにあるのかはっきり兄を問質したくなるのです。

　プロの農家でも大変な果樹栽培ですから、素人が多品種密植栽培しても上手く行くはずがないとは思わないのだろうか？果樹が活き活きと育つ環境を少し整えることぐらいしか人が手伝えることがないのに自分が育てていると思っているのではないだろうか？

　と考えていくとうっかり尋ねることが出来ないのです。結局、イチゴの苗を分けてもらうことだけで帰ってきました。

　楽して出来るものを見つけて行くのが私の農でしたから、一番矮小なイチゴ苗が放任でどこまで頑張れるかをみてみたいと思いました。

　ハヤドリ白たまねぎのために用意した自慢の微生物リッチな畝をイチゴのために明渡すしかありません。

　私にとってイチゴは栽培するパフォーマンスが合わず、気に入ったものを欲しいときに買うものだという宗旨があったはずなのにです。

　私には理解できない兄の農園の中にも私には見えない農の論理があり、彼の愚痴にも十分な付加価値があるのかもしれないと思う私でした。

　いつか兄が言っていたことに「嫌になってやめたいと思うが、そうするとやることがなくなるから。」がありました。

　兄は嫌になるほどのことをしなければ時間が余るのかもしれません。時間がない中で、したくない農をやらねばと手抜きの楽して農を探す私とは目的が全く違うのかもしれませんね。

        
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    <title>秋の夜長に思うこと</title>
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    <published>2011-10-13T02:27:45Z</published>
    <updated>2011-10-13T10:24:17Z</updated>
    
    <summary>　今頃は暑くもなく寒くもない最高の夜です。漸く虫の音が美しいと感じられるようにな...</summary>
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        <![CDATA[　今頃は暑くもなく寒くもない最高の夜です。漸く虫の音が美しいと感じられるようになった私には特に夜の長さがありがたいです。

　そこそこの時間で暗くなり朝は早起きしてもまだ暗くてすることがありません。夕方6時から朝の6時までの12時間が夜なのです。

　この時期になると何時も思うことは“日本の田舎の秋は豊かだ。”ということでした。私がセカンドライフを半農半コンで行こうと決めたのも10年前にこう感じたからでしょう。

　<strong>ＵＳＡネットワーク事業</strong>を形にしたいと思ったのも、あまりにも豊かな自然の恵みであふれかえっている日本の田舎に感動したからでした。

　あまり物ドットコムを立ち上げようと<strong>ＮＳＩネットワークス</strong>を動員したのも今では懐かしいことですが仕組みは違っても何時かは実現したいと思い、決して諦めたことではないのです。

　丁度10年前の秋の夜長にタッキーから貰った“秋の夜長のご報告”メールへ返信した文章がＣＭＳから出てきましたのでその一部を載せます。


<strong>　秋が深まったせいか最近の私は週末の過ごし方が少しかわりました。一日は農水産物の調達を兼ねて妻と隣県の田舎を訪ねることに使い、もう一日私はそれらの加工処理の試行にあて、妻はその試作品の配達で忙しそうです。

　勿論ただのものですからそれほど厳しい評価は返ってきませんが、満更でもなさそうです。最近の作品のなかでは籾殻を薫煙材にした鯖の燻製などは好評です。

　つくづくと日本の田舎は豊かになったものです。人の心も大らかになったのか１０００円も買うとその何倍もおまけしてくれます。作ったり獲ったものの大半が出荷されずに処分されているようです。

　一次産業が趣味の狩猟や園芸となっている部分が多々あることが強く実感できるこの頃です。私の材料調達コストの大半は高速料金ですが輸送コストを別の価値（観光ドライブ）で償却できていますので負担は軽いものです。

　本当においしい物が有り余っているのに、まだまだ海外から規格化された食品が安く大量に輸入されてくる日本です。何か工夫や発想をかえるか、または価値観を変えれば面白いのにと思うこの頃です。</strong>
　
　在宅介護が目の前に迫っていた時期ですが私たちは十分に人生を謳歌していたようです。また同じことをしたいとは思いませんが、もうしばらくすればまた違うサードライフが始まるような予感はするのです。

　それはこの１０年、ここに自縛されているという思いから、この地の知られざる価値を発見することが出来たと思えるほどの心の変化があったからです。

　単なる思い込みかもしれませんが現時点ではこれまでの自分の考えを大きく変えるくらいの変化なのです。

　遠くまで出かけて感激したことは貴重なことでしたが周囲一里のうちにもたくさんのご馳走があふれていることに気づいたことが私にはもっと嬉しいことでした。

　見知らぬ土地の秋の恵みを見てみたいと思う気持ちは十分ありますが見てるようで全く見ていない自然の恵みがまだ一杯あることを知ったような気がしている今は、耐えられるのです。

　と、秋の夜長はどうしても感傷的な思いにとらわれるのでしょう。朝になるとまた全く違う考えに支配される私です。]]>
        
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    <title>アオサギのビジネスモデル</title>
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    <published>2011-10-06T08:22:17Z</published>
    <updated>2011-10-06T09:38:49Z</updated>
    
    <summary>　少しずつ片付き始めた私の畑は見通しが利くため、慣れるまで居心地が悪くなったよう...</summary>
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        　少しずつ片付き始めた私の畑は見通しが利くため、慣れるまで居心地が悪くなったようです。

　巨大な草の山が表と裏に二つも出来たのでその山の陰になるところに腰を下ろしたときぐらいしか落ち着かないのです。以前はどこでも腰を屈めると通りからは見えなくなっていました。

　そんなことを考えながら来年の畝作りのために夏野菜の残渣を片付けていたある朝でした。裏の通学路から女性の声で呼びかけられたのです。

　“今、鳥がねずみを咥えて飛んで行ったよ。咥えられた子ねずみがキーキー鳴いていた。”と興奮して言われるのです。

　私の畑の隣にあるラーメン屋さんから用水、そして通学路をはさんだ向こうに住んでおられるおばさんが、鳥がねずみを捕まえて飛び去るのを見て感動したのか驚かれたのか誰かにそのことを伝えたくてしょうがないという感じでした。

　何時も一緒に早朝ボランティアで公園掃除をしている隣のおばさんが見当たらないので私でも代わりになると思われたのでしょう。

　鳥の姿かたちを説明されるのを聞くとその鳥はいつものアオサギのようでした。前日も隣のラーメン屋さんの裏口の草むらに静かに佇んでいるのを見ていたからです。

　一頻り話し続けた後、おばさんの興奮状態は漸く治まったようです。要するに彼女はそのアオサギは何時も見かけてはいるがここにやってくる目的がネズミ捕りであったことを発見したことにより感動しておられたのです。

　そしてネズミが何時も向かいに居ることを知り、自分の家の戸締りを心配しはじめました。

　ラーメン屋さんの物置を根城に夜な夜な我が家の畑に出没し、野菜を失敬していく数匹のネズミ家族がいることは承知していた私ですが嫌々ながらも一定の取り分は認めていたのです。

　最近はネズミの好物も畑から消えたので、どうしているのかと心配していた時に子ネズミが生まれていたとは私にはこちらが感動的でした。

　さすがのアオサギでも大きな親ネズミは捕らえることは難しいでしょう。私の畑でじっと佇んでいた夏の日には何かを捕獲したらしい現場には出会うことはありませんでした。

　昆虫ぐらいが獲物だとしたらいくら草深い私の畑でも人が出入りする鬱陶しい場所を敢えて猟場に選ぶパフォーマンスが分からなかったのです。

　ネズミが繁殖している住処の近くに何時も出勤して子ネズミが散歩に出てくるのをじっと待っていたとしたらすごいことです。

　ネズミは環境さえ良ければそれこそネズミ算で殖えます。だが私が感じている限りは急激にチュー口が増えていません。

　だとすればかのアオサギの猟とネズミの繁殖はバランスが取れているのかもしれません。捕り過ぎないように調整した育てる狩猟をアオサギは私をも利用して営んでいることになります。

　確り私がネズミの食べる分も作っているかアオサギに見張られていたのでしょうか？人の気配が濃厚なところでふわふわと落下傘みたいに下りたり飛び上がったり出来るアオサギが新しいビジネスモデルを開発したように感じる私でした。

　私にとってネズミに見向きもされない野菜ではしょうがありません。少々の食味検査で採られたとしても食い尽くさないビジネスモデルが出来上がっているとしたら私はこれに乗ります。

　あとは雉さんにもこのビジネスモデルに加わって貰うことをアオサギさんと相談したいものだと相変わらず能天気な私です。　
        
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    <title>秋になって考えること</title>
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    <published>2011-09-30T02:52:34Z</published>
    <updated>2011-09-30T04:22:22Z</updated>
    
    <summary>　あの灼熱の夏に考えていたことは今のすがすがしい秋には似合いません。私が夏にどう...</summary>
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        　あの灼熱の夏に考えていたことは今のすがすがしい秋には似合いません。私が夏にどう考えていたということは別にして今涼しくなってからの考え方は少しまともになってきたかもしれません。

　力任せに弄くっていた畑も雑草が枯れ始め、落ち着いて整理整頓するゆとりが出てきました。一寸片付けた後に考えるといろんな選択肢があることに気づくのです。

　そうすると来春に向けての畑の作付けシナリオが面白いように浮かんできます。やっと楽しい半農が蘇ってきたと言えるのでしょう。

　東日本大震災と私の事業創造がこれほど密接に繋がっていたと考えられるのは、このほっとした小さな秋を実感しているからでしょうか？

　だがこの半年ほど思ったこと考えたことをそのまま事業創造考にかけない時はありませんでした。誰の意見を聞いても読んでももっともだと言わざるを得ない優等生の意見です。

　本音をうっかり言ったら最後、さっさと表舞台から退場させられた人は政治家だけではないでしょう。そうなりたくないから慎重になるのではありません。

　本音で言っても本音で返ってきていると思えなくなり、何が本音なかも分からなくなっているのです。自分の本音がはっきりしているのに相手の本音が分かりづらくなったからです。

　極端な例ですが“被災者だとしたら何でも許されるのか？”という素朴な疑問が湧く身近な出来事に多く出くわすことがあったからです。

　切羽詰れば何でもありであるとは決して思えない私には本音がそこにあることが明らかな相手とむなしいやり取りをすることからも逃げるのは秋のせいだと思いたいのです。

　あれほどの大災害ですから直接の被災地域だけでなく日本の現実や人の心のありようを都合よく包み隠くしていたものをきれいに剥ぎ取っていったようです。

　少子高齢化と過疎の問題、医療と介護の問題、農林水産業にかかわる食料自給の問題、エネルギー政策の問題などがまとめて裸にされ、財政が破綻状態の上にまだ巨額な復旧復興財源手当ての問題が圧し掛かって来ては誰であっても答えを出しきれるとは思えない私です。

　国や誰かにどうにかしてもらおうでは立ち行かないことは明らかです。自分のことは自分で解決するなどと言うのはきれい事ですかね。

　自立支援とセーフティネットの境目が見えない政策ばかりで、それに慣れすぎた社会は貰えるものなら貰えるだけ貰うのが当然だと考えるのが常識なのでしょうか？

　震災直後から地域復興より地域創生だと正論が述べられていました。だが現在具体的に論議されていることは復興費用であり、創生に対してはせいぜい金の全くかからない経済特区の設定ぐらいでしょうか。

　身一つで生き残っても再興できる健康や知識・知恵、信念・自信・勇気の保持は創生の原資でもあります。だがこの財産の蓄積は泥縄で金をつぎ込んでどうなるものではありません。

　日本の創生や被災地域の創生も結局は個人が自立して実行するしかないのでしょう。そうしたいと思う個人が自己責任でやった結果の総合成果が創生に違いないと思います。

　格好よく言えば“国が何をしてくれるかではなく、国に対して何が出来るか？”でしょうか。そんなことが被災地だけでなく日本全体の個人が問われているのに誰かの責任にすることで紛らわせているような気がしてならない私です。

　そして創生ニーズのないところに創生はありえないと能天気に思えるのはやっぱり秋のせいかもしれませんね。
        
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    <title>文明とは何か？</title>
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    <published>2011-09-08T02:30:13Z</published>
    <updated>2011-09-08T04:03:27Z</updated>
    
    <summary>　3.11東日本大震災以降、これまで自分がやってきた事業創造が一体何の意味があっ...</summary>
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        <![CDATA[　3.11東日本大震災以降、これまで自分がやってきた事業創造が一体何の意味があったのかと考え込むことが多々ある私です。

　ロケーション事業の盟友、田中さんもこれまでがむしゃらにやってきたことに疑問を感じ、やるべきことの本質が間違っていたことに気づき、このままでは人生の時間がないと言っていました。

　そして何かが変わったようです。これまで大事にしてきた自分の役割を降り、残りの人生において果たすべき役割を再構築しているように見受けました。

　彼ほどの思い詰め方ではありませんが私もこれまでのロケーション事業における自分の役割に疑問を投げかけてみようとしていたのかもしれません。

　そんな時、今こそロケーション事業だと思い込めるユニークな文章に出会ったのです。それは先月、日経新聞に載った建築学者の意見でした。

　それは建築家で東大教授である隈研吾氏の語る文明論であり、その文明の決定的な転換点が3.11東日本大震災であるというのです。

　文章の出足で述べられている<strong>文明とは何か。様々な定義の方法があるだろうが、災害から人類を守るために人類が発明した、対災害システムの別名が文明だと考えている。</strong>には建築家はこのような思考をすることが出来るのかと驚きました。

　今まで問題がありながらこれまで続いた現文明は何時どこで興り、どのようにして破綻してきたかが建築家の視点や言葉で表現されると非常に新鮮で共感を感じたのです。

　そしてこれから興隆するであろう新たな文明は、例えば人とのきずな、仲間とのきずな、そして大地とのきずな、自分を育ててくれた場所と自分とをもう一度つなげて見ることから始まると。

　まさにロケーション事業の基本概念で私と田中さんが述べていることそのものではないかと思えたのです。我田引水的であることは当然否めませんが。

　隈氏ははっきりと3.11東日本大震災によって、1755年11月1日、ポルトガル・リスボン沖で発生した大地震そして大津波災害をきっかけに勃興した現文明が終わったと認識すべきだと言っているのです。

　だとすれば災害には無能と化した現文明の論理で復旧・復興することの矛盾をもっと世に訴えて欲しいものです。

　文明とは必ず滅びるものだと思う気持ちを突き詰めていくと文明に頼らない対災害システムとは一体どのようなことなのだろうかと相変わらず変な思考に入り込む私でした。

　はっきりとは言えないのですが現時点で私が思うのは災害と如何に対するかについてだけはおぼろげながら固まってきています。

　それは自然と戦うための防災という立場はとらずあくまでも避災に徹するということです。言い換えれば身一つで生き残っても再興できる健康や知識・知恵、信念・自信・勇気を維持できる楽天性に投資を重ねる習慣を持つことかもしれません。

　こんな話を田中さんとしていると、彼は“私は神社仏閣などの史跡をロケーションしたいと思っているんだ。”と言いました。

　彼の話から考えると長い年月に亘って学ばれた地域の歴史的な知恵の集積地が史跡であると言いたいようです。どのような災害に対しても長年の知恵が生き残る地域で一番安全なところに立地しているのが史跡だと言うのでしょう。

　四次元ロケーション業務に取り組むきっかけになりそうな雰囲気を感じた私でした。850年前の越中大震災に続く大海嘯によって受けた災害跡とそれでもなお生き残った史跡はどうなのか？

　そこに残った知恵は現在地域に生かされているのか？と、相変わらず能天気な私です。]]>
        
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    <title>続・半農の新展開</title>
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    <published>2011-08-25T02:11:31Z</published>
    <updated>2011-08-25T03:41:49Z</updated>
    
    <summary>　お盆までの灼熱が嘘のような涼しさが続きます。雨が間断なく降り、近年にない作柄だ...</summary>
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        　お盆までの灼熱が嘘のような涼しさが続きます。雨が間断なく降り、近年にない作柄だと大満足だった我が家のコシヒカリにも日照不足の懸念が生まれてきました。

　例年になくイナゴの数が多いように感じますが刈り取りまでに稲穂が食い尽くされないよう祈るような気持ちで眺めるようになってきたようです。

　前回書いたお盆前の日曜日におけるニギス漁は私のビギナーズラックもあり、絵でも描きたくなるような宝石よりも美しいたくさんの魚体をクーラーに積み込みました。

　早々に帰港し、干物つくりにかかりたいと思っている私の気も知らず、信一君は餌があるから帰り序に鱈釣りを一回やって帰ると言うのです。

　“時間は大丈夫なんだろう。まだ早いから一寸寄っていこう。”と船を全速にして漁場を変えるのでした。

　彼の船は最大速力は26ノットだそうですが、そのときは最速に近い速度ではなかったでしょうか。日が高くなった海には漁をしている船は全くいませんでした。

　全速で走る自分の船と語らうような顔でうれしそうに舵を握っている信一君は私には行き先を告げず一気に新たな漁場を目指しているのでした。

　漁港沖を過ぎても速度を落とさず北に向かって行きました。そして行き先は黒部川河口の沖合いのようでした。

　沖合い2kmぐらいのところで船を止め、餌の蛍烏賊を取り出し、新しい仕掛けにかけ始めました。この間私の仕事はなさそうなので河口から流れ出している黒部川の水と富山湾を回遊している流れが織り成す面白い模様を見入っていたのです。

　“河口からの距離の違いによって海底にいる底物が違うんだ。多分真鱈がいると思うが釣れなくても勘弁してくれ。”と私を楽しましてくれようとしていることが良く分かったのです。

　最初に投げ込んだ仕掛けは250mの海底についたようです。海流のスピードを測って糸の張りを調整するため例によって船を細かく前後に動かし始めました。私は指示通りリールを巻いたり緩めたりしながら当たりを見逃さないように竿先を睨んでいたのです。

　かなり大きな最初の引きを見逃さず信一君に伝えましたが彼はもう何匹かがかかるまで待つつもりのようでした。

　数回の引きを確認した後、巻き上げ開始の指示を受けスタートボタンを押したのです。竿の先が海中に引き込まれ、かなりの大物がかかっているような期待が膨らむ状況だったのです。

　数分後に巻き上げスピードは落ちそして停止しました。急いで竿を立て糸を引き寄せそれを信一君に渡し、私はタモを手にして待ち構えるのでした。

　まず最初にグレーの斑模様をした今までのニギスから見ると巨大な魚体が浮かび上がってきたのです。真鱈でした。

　鱈とは字のごとく冬のものかと思っていた私にはこんな真夏に鱈が獲れるとは考えられなかったのです。だがまさに真鱈でした。この夏の日で一気に干せばさぞかし旨い干鱈が出来るだろうと早速想像する私でした。

　その下には大きなカレイがそして綺麗な黄金色をしたハチメ属のガンゾウが続いてあがって来たのです。

　三度ほどこの仕事を繰り返すともはやクーラーには入りきらないほどの豊漁でした。“もういいか。”と信一君は言いましたが言われなくてももう帰るしかありません。

　朝飯抜きでやってきてもう昼になっていたのです。揺れる船にずっと立ちっぱなしでいるのもずいぶんと腹が減るものですね。

　底物は魚群探知機に映らないので勘と想像の世界のようです。黒部川が押し流す大量の有機物、海底から噴出す伏流水、湾に流れ込む寒流や暖流が相まって多分多くのプランクトンが発生しそれを求めて多くの魚が集まっていることをイメージすることは容易でした。

　広大は河口領域のなかで彼のGPS画面には長年のノウハウがインプットされているからこそこんなに簡単に目的の獲物がゲットされたのでしょう。

　私が今から漁師を目指したとしても海底をそのままリアルに可視化できる装置が開発されない限り死ぬまでやっても一人前にはなれないだろうと思うのでした。
        
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    <title>半農の新展開</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.noahkikaku.com/mt3_2/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=4/entry_id=1371" title="半農の新展開" />
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    <published>2011-08-08T07:06:56Z</published>
    <updated>2011-08-08T08:59:30Z</updated>
    
    <summary>　コシヒカリが出穂の時期を迎えました。毎日十分な水で田んぼを満たす必要があるため...</summary>
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            <category term="半コン" />
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.noahkikaku.com/dina/">
        <![CDATA[　コシヒカリが出穂の時期を迎えました。毎日十分な水で田んぼを満たす必要があるため朝晩の水管理がうっとうしくなって来たのです。

　何がうっとうしいかと言えば各田んぼが一斉にたくさんの水を要求し始めるので一時水不足状態に陥るからです。

　自分が好きなタイミングで水の引き込みができたこれまでとは様変わりです。地域全体の水需要を想像して自分の田んぼに何時水を張ることができるかを考えられないと何度も田んぼへ出かけていかなければならなくなるのです。

　今年は早めの夕方に水を張る戦術にしてからは早朝の予定が大きく変わってきた私でした。あまり早く田んぼに行く必要がなくなったのです。

　そのため夏野菜の収穫や冬野菜の植え付けの準備などに十分時間が割けるようになりました。少し時間を持て余すぐらいの余裕もできて来たのです。

　昨日の日曜日はいつも通りに起床して作業着に着替えて家を出ようとしたのですがふと気が変わり涼しい居間で再度横になってストレッチを始めたのです。

　そこで私の携帯が鳴りました。こんな早朝に誰だろうと思って手に取ると珍しく同級生の信一君からでした。

　"おはよう。今何している？田んぼを探したがいなかったので電話したんだ。”と言うのです。"畑の隣で夏祭りの片付けが始まるから行きたくないと思って考えていたら田んぼに行きそびれたんだ。”と答える私でした。

　“俺もそうなんだ。係りではないが気まずいからな。こんな日は海にでも出ようと思って久しぶりにお前を誘ったんだ。ニギスを釣りに行かないか？”と畳み込まれました。

　ニギスと聞いては断れません。我が家では一番の大好物のご馳走なのです。その日の予定をすべてリセットした私はお盆に向けて庭掃除の仕上げにかかった妻に“漁に行ってくる。”と伝えて軽トラを動かして彼の船が係留されている漁港の岸壁に向かったのです。

　あっそうと軽く聞き流した妻はほとんど意味を理解していなかったようです。

　漁港の前の広場は早朝なのに大勢の人が詰め掛けていました。リサイクルの収集日だったようです。

　車や人を掻き分けて漸く信一君の船まで辿り着くことが出来ましたが彼はすでに出港準備を終え、私が来るであろう方向を見て探しているようでした。

　混雑を避けるため大回りしたため彼が思っている反対の方角から現れることになってしまったのです。

　後ろから声を掛けたわけですが一寸びっくりしましたが直ぐに笑顔で“出港だぞ。”と叫びました。港の中は少し水位が高そうでしたが何とか旋回橋を動かさずとも海に出れたのです。

　私が橋桁との離隔を探りながらOKを出しつつ注意深く潜り抜けた後は軽快なエンジン音を響かせて一気に魚場へ向かったのです。

　彼の船には旧式ですがGPSと魚群探知機が装備されています。そして彼が長年集めたポイントがしっかりマーキングされているのです。

　漁協組合員でもあり正式な漁船登録された船を漁港に係留している彼は兼業とは言え漁師なのです。だからその日の私は漁師見習いの実習生かもしれませんでした。

　面倒見のよい信一君は私の質問に丁寧に答えてくれました。そして多分私が知りたいと思っているようなことを次々と話してくれるのでした。

　最初のポイントは“海辺の森林浴あん”の沖合い1500メートルぐらいでしたでしょうか。ここは200メートルぐらいの深さですが数十メートルの範囲で複雑に起伏しているようでした。

　私が何時も興味を持っている真鯛の好漁場である<strong>場市の堤</strong>を越えた辺りだったのです。ここに至るまでの間に魚探に写る海底のプロファイルは明らかにその堤を現していました。

　信一君は電動リールをセットしニギス釣りに最適なサビキを取り付け私に声を掛けました。“これから群れを探すから詳しく説明するよ。”と。

　セットされたポイントの回りを動きながら魚探に写る絵を指差して私に説明するのです。“こちらは高周波の画像でこっちは低周波の画像なんだ。両方に同じような絵が写ってくればニギスの群れがいるはずなんだ。200メートル下に錘がつく前に群れは動くから群れの画像が現れ始めた直ぐに糸を落としてくれ。”と私の役割も与えていました。

　“最初は上手くいかないだろうがまず一回やってみよう。”と私の訓練が開始されたようでした。彼の合図とともに電動リールのギアを解放すると糸は一気に海底に向かって滑り落ちていくのでした。だが200メートルは長いものです。

　“あーあ、群れが離れていく。”との信一君の声を聞きながら早く海底に着けと祈るような気持ちでリールの表示を睨む私だったのです。

　糸が緩み海底に錘がついたことが確認できると直ぐにリールを巻けてとの指示が飛んできました。急いで糸の緩みがなくなる程度に10メートルぐらいを巻き取った時には彼は盛んに船を小刻みに動かしながら糸を垂直になるようにコントロールしているようでした。

　船を立てると言うそうです。これが上手く出来てこその一本釣り漁師なのでしょう。そのとき私の目にはロッドの先が何度か引いたように見えたのですがよく解りませんでした。

　しばらくして“もう少し棚を変えて見よう。少し巻き上げてくれ。”と指示されました。そしてその後は下げてみたりと私にリールの操作を教えているようでした。

　“一度あげてみよう。”と指示されて一気に巻き上げボタンを押す私でした。これもまた時間のかかることでした。これでは相当たくさんいっか釣りされてこなければ漁師家業は成り立たないですね。

　10メートルぐらいに近づくと自動で減速し2メートルで停止するように出来ているようでした。“竿を立ててくれ。”と指示され糸が手で手繰れるように船に近づけるのでした。

　漁師にもビギナーズラックはあるようです。掛かっているはずがないと思っている信一君もびっくりするほど針度とにきれいなニギスがかかっているではありませんか。

　最初の当たりはほんとうだったようです。きらきら宝石のように輝く様を見て手釣りのニギスは高値で売れることを実感した私でした。]]>
        
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    <title>真夏の夜の語らい</title>
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    <published>2011-08-02T05:14:38Z</published>
    <updated>2011-08-02T06:57:29Z</updated>
    
    <summary>　先週末であり先月末でもある7月最後の土曜日は恒例の海上花火大会が開かれる予定で...</summary>
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        　先週末であり先月末でもある7月最後の土曜日は恒例の海上花火大会が開かれる予定でしたが通常では毎月最終土曜日曜はあるクライアントとの開発会議を持つことになっていたのです。

　ですからその当日は会議の後、当然クライアントを誘って裏の海岸で缶ビール片手に花火見物をしようと決め込んでいた私です。

　７月初めの土曜日に小学校の同級生の一人が突然訪ねて来ました。その花火大会の時間に近くに住む仲間達と一杯飲もうと誘いに来たのです。

　“急に思い立ったが、一寸声を掛けたら２０人以上が乗ってきたんだ。良かったらあんたも是非来てくれないか？”と言うのです。

　“まだ確定していないが多分何時もはその日に仕事があるので悪いが無理だと思うよ。”と答え自分としてはもう断った心算でいたのです。

　それから１週間が経ち、すっかりこのことを忘れていた私でしたがその彼がまた訪ねて来て“予定はどうなった？”と尋ねるのでした。

　“段々、参加者が増えてきたのでやっぱり出席しないか？久しぶりに皆もお前の顔を見たいと言っていたから。”と嬉しいことを言うのでした。

　“予定がまだ決まらないのなら一応出席としておくから如何しても駄目なら信一君か誰かに連絡してくれれば良いよ。どうせ遅くまでやっているから遅れても構わないから是非来てくれ。”と凄い交渉力でした。

　偶には良いだろうなと思いながら翌日、件のクライアントに確認のメールを打ったところ何と私の思い違いで今月だけは会議が行なわれないことになっていたのす。

　その開発会議には私も凄く力が入っていたので一月抜けると決めていたことすら頭から消えていたようでした。

　そんなわけでクライアントとの会議後の懇親会で盛り上がるはずだった海上花火大会の夜は何と３０人以上の懐かしい同級生達との語らいに変わったのです。

　こんなに沢山の幼馴染が歩いて行ける範囲に住んでいながら毎日の暮らしでは殆ど顔も合わせることがないものなのですね。多分歩いていないからです。

　同級生の１/５ぐらいが人望ある幹事が一声掛けると直ぐに集まるのだと感心しきりの私でした。私の場合は一声でなく二声以上だったのかもしれませんが。

　ビールや酒がまわり、てんでに話し始めた声は空間を唸らせ収拾のつかない昔の自習時間のように思えてきたのです。

　自分の周りにいる数人と取り留めない話を続けていたときふと誰かの強い視線を感じました。それは私から一番遠い場所に座ってこちらを見ている懐かしいC君だったのです。

　私の手招きに応じてC君はグラスを片手に私のところへやってきました。間を割って椅子を一つ入れ、彼の席を作って改めて乾杯しました。

　小学校のころからおしゃれでシャイでユニークなC君は今もまったく変わらず昔のままなのです。私自身はまったく変わったと思っていますが彼ほど変わらない同級生はいないでしょう。

　私の側が居心地が良いのかその後、何時間も動こうとしませんでした。私が誰かと話しても暫くすると彼と二人だけしか通じない懐かしい思い出話に戻っていくのでした。

　小学校時代のある時期、私と彼は毎日のように放課後を一緒に過ごしていたのです。校下のあちこちを冒険しながら暗くなるまで遊びの開発に余念がなかったことがはっきりと思い出されてくるのでした。

　彼は私以外の友を自分で誘って仲間に入れることはまったくなく、私が誘わない限りメンバーが増えることはなかったのです。

　たまたま近くに寄ってきた当時何時も私が遊んでいた友にそのことを確認すると当然のように頷くのでした。そしてそのことをC君も当然のような顔で頷いているのを見て笑えて来る私でした。

　野生のウサギの捕まえ方、野鳥の捕獲の仕方、素手で色んな魚を捕えることなど思いつくことを試してみるのは楽しいことでした。彼と私は何時もそんなことをして日の暮れるまで遊んでいたのです。

　その時々で足りない人手を私が集めていたのかもしれません。だがその時の遊びには何か一本筋が通り徹底していたような気がします。そしてその筋はC君が通してくれていたのだと思います。

　そのような毎日が何時なくなったのか今は思い出せません。確か彼とは中学時代には遊んだ記憶がないのです。別に仲違いをした覚えもありません。

　“今如何しているんだ？”と尋ねる彼に“口で言っても判らないから明日時間があるなら家に来ないか？バスタオルを一枚持って。”と答える私でした。

　細かいことを問わずに頷いた彼は約束通り翌日曜日の午前中、“海辺の森林浴あん”へやって来たのです。

　アルコール抜きには頗る効果的な午前中の入酵を振舞った後、すっかりご機嫌顔な彼とお昼を過ぎても互いの近況を伝え合ったのです。

　二人の間にはあの子供時代に共有したワクワクする遊びの自創がもう一度始まるような予感が高まったことだけは確かなようでした。

　明日が来るのが待遠しく感じながら気持ちの良い疲労感に包まれて眠れたあのころが懐かしい限りです。今でも変わらないじゃないの言われそうですけども。
        
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    <title>事業創造に若さは不可欠</title>
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    <published>2011-07-30T05:43:38Z</published>
    <updated>2011-07-30T09:16:38Z</updated>
    
    <summary>　半農半コンで事業創造が趣味のような私ですが時には心が萎えて創造意欲が湧き起こら...</summary>
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        <![CDATA[　半農半コンで事業創造が趣味のような私ですが時には心が萎えて創造意欲が湧き起こらなくなることもあります。

　凄く重力の大きな星に移動した感じがして考える以前に身体が言うことを聞かないような状態になるのです。

　それは身体がというよりもきっと心が重くなっているのでしょう。そのうち直ぐに元に戻り何もなかったようになるのですがその時は何故こんなことを無理してやっているのかと考え、もう止めた方が世のためではないかなどと思っているのかもしれません。

　多分、若さが切れようとしている時なのでしょう。誰にでもあることなのでしょうが私にとってはあってはならないことが起きたような感じがして一層ショックが大きいのかもしれません。

　サミエル・ウルマンの青春の詩では若さについて真に判りやすく謳われていますが若さを失う原因がこれほどはっきりしているのですから対処も簡単なのではないかと思ってしまうのでした。

　<strong>人は信念と共に若く　　 疑惑と共に老ゆる

　人は自信と共に若く　　　恐怖と共に老ゆる

　希望ある限り若く　  　　　失望と共に老い朽ちる </strong>

　好きなことを好きなように出来れば良いと安直に考えているような私の半農半コンにはもともと信念や自信や希望などないのかもしれません。

　だとすれば疑惑や恐怖や失望も生まれる基がないのではないでしょうか？基がなければそれらが揺らいだ結果において生まれる疑惑、恐怖、失望はないはずです。

　そう考えると私が時たま感じる心の高重力状態は何から生まれるのか興味深いことでした。

　相変わらず変なことを考え始める私ですが、多分私の青春とは心の若さではなく馬鹿さなのではないかということでした。

　自分中心の思い込み、ありがた迷惑なお節介、自己満足から成り立っている新事業創造が実態なのに何処かで美しく変換された仮想の事業が自分の新事業だと思い込んでいるのかもしれません。

　その仮想の新事業に付き合いきれなくなった常人がとる普通の行動が私に疑惑や恐怖や失望を抱かせているのだとしたら一体如何なのでしょうか？

　若さではなく馬鹿さを機動力にした私の事業創造は信頼のネットワークに問題があるのかもしれません。

　だがそれに少しでも気づいたのなら馬鹿さを若さに転換する努力はしなければならないと思いました。

　如何したらそうできるのだろうかと真剣に考える玉ではない私のことですからまたまた安直な結論を導き出すのでした。

　若さも馬鹿さもどちらにも共通するのは惜しみない努力を続けることだ思いますのでささやかな自創成果について自分自身が謙虚であることで次第に信念や自信が生まれことを可能にするのかもしれないと考えました。
　
　そうすれば真の若さを手に入れる希望が湧いてくるでしょう。などと相変わらず自己都合で能天気なことを考える私です。]]>
        
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