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2007年07月31日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (7)

 取り合えずその時点のArisMapに搭載されている仮想三次元空間を活かし急いでモデリング作業を開始したのです。

 ペーパーロケーションにて現地の概略を把握し今回精細にモデルを追加する範囲を検討しました。決定後はBさんとSさんが現地に出かけ素材データの取得に励んでくれたのです。

 そして景観の中心となる周辺構造物を順次、三次元モデルとして生成してくれました。

 私はH社から頂いた新しく建替えられる橋の設計図面を三次元モデル化することを急いだのです。

 初めてのことで二、三日の徹夜が続きましたが難なくリアルな空間の中に未来の景観が浮かび上がってきました。三次元空間シミュレーターの中にインポートされたArisMapはこれもまた私の予想通りの出来映えだったのです。

 現在では当たり前のように言われるようになりましたが当時はまだ私が言っていた地域全体での合意形成ツールの運用などは富山県では考えられませんでした。

 H社が行った県へのプレゼンは大好評であったようです。説明会の中で計画モデルをインタラクティブに変更したりして個々の質問にタイムリーに答えていくことは驚きであったはずです。

 それを受けてその後H社は地元説明会にも頻繁に借り出されたとのことでした。

 県やH社の思惑は大きな事業を推進するに際して地元説明などで難しい局面が予想される時に解決の切り札として取っておきたかったようでした。

 JMHを役所に提供しようとは考えてもいませんでしたがその機能の一つであるリアルタイム景観シミュレーションが誘い水にCALSの運用を迫って見ようなどと良からぬことを期待したかもしれません。

 だがその期待はまったく持って見当違いな結論で終わったのでした。

 H社の営業から言われたことは当にお役所的な思考がはっきりと現れていたのです。“こうゆうシステムを県の出先や市町村にデモをしたり提案したりすることは暫く慎んでもらいたい。”とのことだったのです。

 最初から地域全体で合意を形成することなどは考えてもいないことであって問題が出た時の対処療法の一つとしてこっそりと温存しておきたいというのでしょうか?

2007年07月30日

私の夢の正体 (61)

 11月の半ばでした。3年半住み慣れた富山市内のアパートを引き払い黒部の家に転がり込んだのです。

 2年前に友人の大棟梁N君に改築をしてもらっていましたから私達はスムーズに住替えができたのです。

 H部長は力の限りリストラに取り組んでいました。私ならこうなる前に一緒に業務の拡大に全力を挙げる方が楽だと思うのですが人にはそれぞれ向き不向きがあるのでしょう。

 とにかくこの時のH部長は素敵でした。惚れ惚れして尊敬してしまったのです。彼も家族がありまだ小さなお子さんもいたはずでした。リストラの後は自らも退社されるのですから私だけが運が良いようで申し訳なく思ったものです。

 時々は二人で赤提灯に行き、お互いの今後の健闘を讃えあったのです。彼はオーナーの関連会社にポストを用意されていたようですが気が乗らないみたいでした。

 理由はオーナー流の使われ方に疑問を感じているようで出来るなら別の道を見つけたいと言っていたのが今でも思い出されます。

 結果はオーナーにお世話になられたのですがこの時私は早くT社を建て直し帰ってきて頂きたいと心から思ったものでした。

 半分の人員に削減しオフィスも縮小するなどリストラ費用もかなり掛かるはずでした。私には途中のことは一切関る必要がないと言われていましたので今までに況して営業に打ち込んでいたのです。

 ダイナシステムズの大リストラを自分で経験した今だからこそ解りますがH部長は大変な苦労をしたはずです。お金があるときにしかリストラなど出来るものではありません。

 当時のT社の経営状態でどのようしてリストラを成し遂げたのか感心します。

 私が結果を教えてもらったのはその年の末でした。残る社員の一覧とその月末で締めた決算書を見せてもらったのです。

 1億円に届きそうな累積赤字を見ても特に驚くことはありませんでした。残った30名の社員達と協力し経営状態を急浮上させねば皆も辛いし私も夢を探すことすら出来ないのです。

 自分の目で結果を見ることが出来ればもっと良い結果を出そうと頑張れると思いました。だから自分には丁度手頃のハンディキャップがこの金額なのだと思い込んだのでしょう。

2007年07月29日

My favorite business (4)

 私が2002年にダイナシステムズの撤退作戦をスタートさせた時、同時に開始した事業が妻の永年の夢を実現させることだったのです。

 妻の夢はまったくシンプルでした。何気ないことで悩んでいる人や困っている人などが特別の理由をこじつけなくとも気軽に寄れる場を持ちたいと言うことでした。

 特別何か仕事をしたいと言うことではなく一人で閉じこもって悩んでいるより皆でワイワイ言いながら解決できることをやってみたかったようです。

 若しくはただただ相手の話を黙って聞いてあげる仕事がしたかったのかもしれません。

 妻がその様なことをしたいと願っていたことは随分前から知っていましたが自分のことで手一杯な私はそれ程真剣に考慮してこなかったことは確かです。

 彼女がそう願ってきた理由は明確なのですが待ったなしで実行しなければならないと思い込むだけのきっかけになる事件が彼女の周りで多発したのです。

 私が別の人生を歩むことと同時に妻の新しい人生をスタートさせれば話は簡単だろうと単純に考えたのがUSAネットワークス事業でした。

 来ていただく場が“海辺の森林浴あん”であり、遠慮なく来てもらえる仕掛け(適当な口実)に当面選んだのがたまたまヒノキの酵素風呂だったのでした。

 それは私にも妻にも家族にも好都合な仕掛けであったからに他なりません。要するに自己で償却済みに出来るものだったからです。

 走り出しながら事業概念を整えていこうという何時ものいい加減さでした。

 だがやりだして気がついたのはこの事業こそが私達の人生において一番大事な事のように感じ始めたのです。

 自然の中で無理なく生活することこそが仕事の目標であると考えるようになるにつけ事業の概念も大きく飛躍して行ったのです。

 これとても例によって独り善がりの大言壮語であることには違いがありません。でも私にとって一番のビジネスであることには間違いありません。

 言うなれば生活者の生活者による生活者のための事業でしょうか。

2007年07月28日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (6)

 欲求不満気味で数箇所の送電線ルート立地地点を簡単にモデリングし、一寸過剰サービス気味にリアルにモデリングをした送電線鉄塔を三次元空間に配置したときは思った通りの出来映えに気を取り直したものでした。

 リアルタイムに視点が移動でき、監督官庁や地域住民に提示できたことによる効果は充分感じていただきお褒めも頂きました。

 だがこれがおまけであるとの私の主張はまだまだ認めてもらえる段階ではなかったのです。

 そんな時、地元の建設コンサルタント会社のH社から景観評価の業務で相談したいと言って来ました。

 H社とはその時、縁あってIT化についての顧問契約をさせて頂いていましたのでここぞとばかりに建設CALSの実現シナリオを体現してもらいたいものだと大いに期待してしまいました。

 H社の相談内容は富山市内を流れる神通川に架かる橋を架け替えする大きな事業を始めるに際して付近住民に対しての説明を円滑に行なう手法の提案を県から求められているとのことでした。

 概略設計の段階からArisMapの上で計画を描いていけば計画段階の進展に応じて精度、解像度、鮮度を上げることにより詳細設計、実施設計、施工管理、運用管理と連動できるCALSの真髄が簡単に実現できるのです。

 当に行政と住民が一体になって最適な地域開発を戦略的に実行することがCALSなのですが公共事業の遂行ということがテーマである役所と地元建設業との組み合わせにおいてはまだまだ考えを転換することは難しいとはこれもまた充分理解していたつもりでした。

 でもどれぐらいどんな反応があるかを確かめることは私にとっては興味もあったのです。

 H社の担当課長は私の提案説明を聞いて大変乗り気でした。彼は早速県の土木部へ行って件の橋のエリアをモデリングし概略計画を三次元シミュレーターの上で表現する内容で話を決めてきたのです。

 県の役人からするとH社の提案のようなことは地場の業者には出来ることとは考えていなかったようでした。チャレンジぐらいはさせてみようと思われたようです。

2007年07月27日

My favorite business (3)

 タッキーとの出会いによりそれまでの私に絶対ありえなかった仕事振りが始まったのです。

 当初はタッキーの勝手なニーズで私が振り回されているかに見えるときが多々ありました。でもそれが何時しか私にとっても心地良い状態になってきたのです。

 出会ったときのタッキーの興味は明らかに情報ビジネスにあったことは間違いありません。

 私が考え定義している情報の本質と私なりに進めていた情報ビジネスのさきがけを素早く頂戴し、自分の得意とするものづくりに対するこれからのコンサルティングビジネスを新しく創造しようと目論んでいることはありありとしていました。

 そして彼の事業展開の局面で私やダイナシステムズの特質を上手く梃子にしていることなどを見るに付けなるほどと感心したものでした。

 彼は彼なりに私が気づいていない私の価値を評価し、自らの事業の初期始動に上手く活用していることは私にとって大変喜ばしいことでした。

 だが彼の最大の弱点を薄々感じていた私はその弱点を埋めて余りある付加価値ビジネスをダイナシステムズとの連携によって起こそうと考えたのは必然的なことだったのです。

 そのために私はタッキー研究家として誰にも負けないほどに精進してしまいました。そこから想起されたタッキーライトサービス事業ですから只の金儲けとは訳が違います。

 この事業はタッキー自身がまったく認識していない彼の潜在ニーズに大きく応えることが出来る事業なのです。

 タッキーライトサービス事業の事業概念の構築には5年以上は費やしたでしょうか?

 タッキーのコンサルタントとしての特質と私が考える自分が理想とするコンサルタントとのギャップを埋めるというよりもまったく新しいコンサルティングビジネスを創造したいと考えたのでした。

 そしてこの事業はコンサルタントのコンサルタントによるコンサルタントのための事業なのです。

2007年07月26日

私の夢の正体 (60)

 オーナーの決定を受容れないわけには行きませんでした。元々が私が望んでいた情況に一番近いのですから当たり前でした。

 北陸銀行の計算センターの件はその後何も連絡が無かったのです。松本さんにはこちらから連絡しなければとは思っていたのですがT社のリストラが始まりすっかり忘れてしまったのです。

 H部長はオーナーからの話を受けて水を得た魚のようにてきぱきと処理を進めて行ったのです。彼はこうゆう局面が得意なようで生き生きとしておられました。

 M部長は相変わらず禅問答のようなことを言っておられましたが覚悟は出来ていたのでしょう。私に営業上役に立つと思えることを機会を見ては話してくれたのでした。

 大規模なリストラの後は多分自転車操業を余儀なくされますから私の給料は最後の最後になるはずだということ位は理解していました。

 そのことは妻にも了解してもらいたく何度か話したはずですが彼女はそれ程興味を示しませんでした。これまでも似たようなものでしたがひょっとしたらもっとひどい状態になるかもしれないと伝えておきたかったのです。

 でもこれは私の言い逃れの伏線を張っているようなもので今にして思えばみっともないことでした。

 10月の末に妻が私に“この際黒部に行きましょう。子供達も歩き回るようになるから広いところで暮らしたほうが良いでしょう。”と言ったのです。

 妻は決してその時点でまだ同居などしたいとは思っていなかった筈です。私が踏ん切りを付けて新しい局面で仕事に打ち込めるように考えてくれたのでしょう。

 家賃と食い物の心配が無ければ自分の給料のことは棚上げして仕事に打ち込めます。だからこの時の妻の決断には今でも心の底で感謝しているのです。死ぬ前には口に出して礼を言おうと思っているのですがさてどうなることでしょうか?

2007年07月25日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (5)

 JMHのサービスを受けたいとさえ言っていただいたならば三次元空間モデルの作成コストはお客様には心配していただく必要はないのでしたがそこのところが良く理解いただけませんでした。

 立地計画の初っ端から私どものサービスに乗っかっていただけるのなら全ての業務のプラットホームとしてArisMapは存在します。

 個別の業務において送電ドットコム活用が真剣に検討されたならばニーズのありどころが明確になります。

 それさえ解ればそこからArisMapの高精度化、高解像度化、高鮮度化を進めようと考えていた私にとってコストは問題ではなかったのでした。

 もともとが自力で構築しようと考えて始めたプロジェクトですから請負的な発想はこれっぽちもなかったのです。

 どれぐらいの価値が有るかさえ伝えていただければ何れ誰かが主体者になって大きく事業展開を進めて行くに際してマーケットのボリュームを設定することが容易になるだけだったのです。

 私には少なくともニーズを感じ取っていましたから必ずや必要なサービスだとの確信はありました。だが問題はお客様の仕事の進め方が原理原則に則って進められないことにあったのです。

 即ちCALSには馴染まないのです。従来の仕事の進め方が日常化していて問題が顕在化したところから対処療法的に改善するやり方が大企業、特に公共事業体には顕著であることなどは充分解っていたつもりですが今度こそはと懲りずに提案していたのでしょう。

 広域設備管理の要諦はロケーション・リスク・マネージメントにあるとは東京電力の送電線設備管理の調査研究をお手伝いした時点での結論でした。

 そのためには完全な三次元空間上で業務プロセス管理を柔軟に実行する仕組みが必須だと学んだことでした。

 だが現実には景観評価で問題が噴出している地点で取りあえず問題を解決する手段としての評価は得ましたがそれが原理原則に則っての業務改革をやり遂げたことの当然の副産物になるとはご理解はいただけなかったのです。

2007年07月24日

My favorite business (2)

 My favorite business の共通点を考えて見ると面白いことが浮かび上がってきます。

 まずそれぞれの事業が想起されたきっかけは総て私にはありません。誰かが私に深刻にニーズを訴えた(本人は意識されていないかもしれません。)ことから始まりました。

 例によって私がこれこそがソリューションだと決め付けたことから事業創造が始まったのです。

 それらの核になる人たちにこの事業概念を理解して頂き共に事業創造に向おうと考えたのですが勿論当面は私一人でコツコツと積み上げ、最悪でも本来の主体者である彼や彼女との二人だけであってもやり遂げたいものだと思って始めたことなのです。

 そしてそれぞれの事業概念の根本的な特色に共通項があります。それは事業主体者の事業への関り方における既存事業との決定的な変化です。

 また何にも況してそれぞれの事業主体者の頭の情報化こそが大事な共通点かもしれません。

 My favorite businessのトップバッターであるロケーション事業の核になる人物は勿論盟友田中さんです。彼との事業概念の共有には永い永い年月が掛かりました。

 彼との出会いの初っ端からこの事業概念が私の中では芽生えていたのですが具体的に文章として概念定義が完成するのには10年は費やしたでしょうか。

 富山と名古屋の間を互いに行き来し考えを練りあいました。大概は一方的に私が考えを語り彼がそれを次回までに文章にまとめるというような進め方だったでしょうか。

 田中さんがロケーション事業の基本概念を纏めるために費やした労力は計り知れないと思います。だがこうして長期熟成した概念は何物にも況して愛しいのです。

 だから私には少し違うと思うところはありましたが決して否定する必要はまったくありませんでした。この基本概念のもとで設立された株式会社トランスフォーメーション研究所などでは基本概念の理解に未だ苦慮しておられる方が沢山います。

 私はそれで良いのだと思っています。分からないからこそ挑戦する価値があるのです。

 そしてロケーション事業の事業主体者は事業現場で働く人です。言うなれば“現場の現場による現場のための事業”なのです。

 だから現場の情報化こそが事業の成否を別けるのです。

 私も田中さんもロケーション現場で働く一ロケーション技術者として事業の構築を目指しています。

2007年07月23日

私の夢の正体 (59)

 オーナーは一緒に酒を飲んで上機嫌の時、何度か私に“運”と言う動物について語ってくれました。

 この話は私には大変面白く、その後自分でも反芻し、自らの言葉に変えていったのです。

 オーナーが話してくれた“運”と言う動物は大きくて人懐こい顔をしているそうです。そして頭が禿げていてピカピカと光ってツルツルとしているそうです。

 そしてもの凄い速さで駆けることが出来ます。この動物を捕まえて仲良くなるとその人の運勢が大きく開けるそうです。

 “運”は何時もあちこちを駆け回って遊んでいるようですが一箇所に止まってはいないようです。“運”が近くを駆けてきた時に捕まえようとして手を出しても滑って捕らえることが出来ないそうです。

 遠くでかすかに光るようなものを見つけた時、もしや自分の所へ駆けてくる“運”ではないかと信じて真正面で受け止める体制を取っておくことしか捕らえるすべがないのだとオーナーは言うのでした。

 日頃から“運”が近づいてくる時がやって来るのを信じて鍛錬し準備を怠るなと言うことだと私は理解しました。

 オーナーが私にT社を委ねようと決めたのは私の運に賭けた様なものでした。そして私は“運”を捕まえたことになったのかもしれません。

 M部長が私によく言っていた“待てば海路の日よりあり”は準備を整えていても直ぐに“運”がやってくるわけでもなくそのうち突然やってくるかもしれません。

 そんな時がそのうち来ると信じて淡々と待つことの心境を言っていたように思います。

 今の私には“運”がこちらに駆けて来る時期が解るようになりました。ありがたいことに我家には先触れの幸せの青い鳥がいるのです。

 青い鳥が訪れるとそろそろ“運”がこちらに駆けてくると考えます。そしてそれまでこうありたいと願っていたことを徹底的に整理しその取っ掛かりが出来た時にやるべきことの準備に入るのです。

 人生には誰でもこんな時が何度か訪れるでしょうが正面でこのことを受け止めない限り運は開けないのかもしれません。

 正面で受け止めればそれこそ順風満帆で夢の実現への距離を一気に稼げると言うものです。

2007年07月22日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (4)

 この年の秋には空間モデリングの流れは私の思った以上の仕上がりで動き出しました。

 場所さえ指定してもらえば私とBさんSさんだけでロケーション業務が動き出すことが確認でき、いよいよ主眼のJMHサービスの展開に取り掛かりました。

 私が最初に持ちかけたのは勿論、北陸電力の中送建でした。新設送電線の建設に於いては環境アセスメントが大きな問題になっておりましたがその中でも特に景観評価が待ったなしだったのです。

 ルート選定時、監督官庁や所在地自治体、そして地主さんや地元住民に対する計画説明はリアルタイムでビジュアルな仕掛けがどうしても必要だったのです。

 ダイナシステムズでは以前より景観予測システムと景観画像作成システムを開発し北陸電力に提供していましたが最早それだけでは対処できない時代に変わっていたのでした。

 建設する鉄塔の標準モデルをモデリングしておき説明に必要な地域の空間モデルの中で設計者が自由に設備を配置しリアルタイムな景観シミュレーションを行うのです。

 各住民の質問に答えて任意の視点からの景観シミュレーションが説明会場で素早く行うことが出来るのですから説明を受けた中送建の皆様からは驚きの声が上がりました。

 得たりとばかり私は畳み掛けるように言いました。“どこか現在問題箇所はありませんか?サンプルでやってみましょうよ。”と。

 担当課長さんから数箇所の地点を教えてもらい喜んで帰ろうとしましたがその課長から一寸質問があると言われたのです。

 課長の質問は価格でした。いったい幾らなのかと聞かれたのです。私は何時ものように“全体サービスの形が決まっていませんから今はまだ分かりません。でも幾らだったら利用して頂けるかを聞かせてもらえばそれを目標にしますよ。”と答えたのです。

 私がイメージしていたJMHは電力に於いては現在の送電設備総合管理システムを外側から支援する送電ドットコムだったはずです。

 これに誘導するには三次元空間上のリアルタイム景観シミュレーションは打って付の誘い水だと思い込んでいたのでした。

2007年07月21日

My favorite business (1)

 私の仕事のスタイルは半農半コンであるとこの5年間宣言し、実行してきたつもりです。

 特にこの3年間は制限するものが何もないかのごとく半農半コン三昧だったのです。だがそれを羨ましいと言う人は滅多にいませんでした。

 半農や半コンの実体を詳しく知りたいなどと言って来た人などまったくありませんでした。農作業の傍ら何か訳の分からないことで細々と食べているのだろうと納得されている以上聞く必要は無いのです。

 だから世間から私の仕事が My favorite business であり、それでは上手く食べていけないだろうと思われていることは充分承知しているのです。

 My favorite business が私の仕事でないとは言いませんが少なくとも半コンには入っていません。

 ですから本業では決してないのです。此処のところが第三者には解りにくいことなのでしょうが私には譲れないことなのです。

 新事業開発コンサルタントとしてクライアントの信任を得て全力で新事業構築に当たるには半農が必須だったのです。ローコスト経営のコンサル会社が実現できていればこそボランティアコンサルティングも可能となるわけです。

 ではなぜ My favorite business が何時も存在しているのかと私の半コンを疑問視しておられる方は沢山います。

 個別に説明しても時間が掛かるのでこの際自分の為に My favorite business を整理整頓し、私自身への効果を分析してみることによって皆さんへの説明に変えてみます。

2007年07月20日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (3)

 1999年の春から企画を始めたJMHは思いのほか素早くシステム構築が進みました。

 現地ロケーションした構造物、特に住宅のモデリングを安く早く行うことがこのサービスの決め手だったのです。だがこのツールは市販の構造物自動モデリングソフトの一部機能を活用することで簡単に解決できたのです。

 デジタルカメラで撮影してきた建物をArisMap上の写真地図と対応してラフスケッチの間取り図を作ります。そしてそれを自社の画像編集ソフトDIPSに取り込んで件の自動モデリングソフトで認識し易いように図形を正規化しました。

 U君が簡単にDIPSをカスタマイズしてくれたので瞬く間に三次元モデルが生成される仕組みが完成したのです。

 そしてU君にもう一頑張りしてもらったのはArisMapの三次元地形とデジタルマップAstro-Townや写真地図を切り出して幾つかの市販の三次元空間情報システムにインポートすることでした。

 この頃にはPCで稼動する手頃な三次元空間シミュレーターなどが幾つも販売されていました。勿論三次元空間をこれらに搭載するコストがべらぼうでしたが我々にはすでに仮想三次元空間ArisMapがありますから必要なエリアをエクスポートすれば事足りるのでした。

 三次元空間情報システム上には素早く三次元環境が構築されますので後は添え物の構造物を適宜配置し目的の景観をデザインすることしかユーザーの仕事はなかったのです。

 市役所などで作成している都市計画図や地番家屋合成図などはどうせ作るなら総て三次元で作れば良いのにと思わずにはいられませんでした。

 富山市の総ての構造物を現地ロケーションしながら三次元空間にモデリングしたらいったい幾ら掛かるのかと試算を始める始末でした。

 BさんとSさんにJMHの運営を最初から最後までやってもらうことを決め業務手順書から操作手順書までを彼女達に仕事をしながら作成してもらったのです。

 担当の業務を持っていながらの新事業への参加でしたが二人はJMHが気に入ったのか喜んで手伝ってくれたのです。

 そしておまけに時間があるとあちこちから住宅展示場のチラシを集めてきてどんどん三次元モデルに変換を始めたのです。

 1000種類ぐらいのモデルが出来上がってくると流石に迫力がありました。富山市の写真地図の上に適当に配置された三次元の家屋モデルはいかにも実際の都市が表現されているように見えたのです。

 勿論、役所で家屋の課税調査に業務として追加すればほとんどコストをかけずに三次元都市計画図が完成するはずです。三次元地番家屋合成図がいたる所で活用されるのです。

2007年07月19日

私の夢の正体 (58)

 私が社会に出て3年半、26歳になったばかりで突然経営者になれと言われたようなものです。

 それもとびっきりの赤字会社で先が読めない会社でした。だが良く考えてみると私はそうなることを期待してT社に入ったのではないでしょうか?

 上手く行ってない会社でない限り私が若いうちに好きなことを好きなようにやれる立場などには絶対なれないと考えたからこそT社を選んだのです。

 だから考えようによってはそのための絶好なチャンスが向うから転がり込んできたようなものだといえます。上手く行っていない会社のレベルに差があったかもしれませんがそれを言うのは贅沢なことだったでしょう。

 このことが私が当初目的にしていたやりたいことを見つけるための最初の関門を開いてくれることになるのだと考えることにしました。

 此処まで“私の夢の正体”で書いてきたことは総てセピア色ですが何故かはっきりと記憶されています。

 私が営業日誌などで多少は記録していましたがそれ以上に鮮やかに記憶が蘇ってくるのです。30年以上も前のことなのに私にも不思議です。

 これまでは敢えて思い出そうとしたことがありませんでしたがここまで“私の夢の正体”を続けてみて自分でも感心するほどです。

 普通に大きな会社に入り普通のサラリーマンを続けていれば味わうことのない出来事が来る日も来る日も起きていたかのように思います。

 悔しい思いや悲しい思いは沢山ありますが辛い思いは決してなかったようです。悔しい思いや悲しい思いは私には頑張る糧になり辛い思いには至らないようです。

 その時代のセピア色の思い出の中に私の夢の原点があるのだとしたら何度か再現してみたいものです。

 でもその中にはきっと私の夢の輪郭すらなくただただ駆けずり回り周りを混乱させていたに過ぎないのです。

 だが一つ確信できたのはこの時のはた迷惑で我武者羅な動きが夢を見るための基礎体力を作るためにはなくてはならないプロセスだったということでした。

2007年07月18日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (2)

 私が自分で試行したロケーション事業のうちジャスト・マイ・ホーム(JMH)はそれなりの自信作であったのです。

 ArisMap上でのペーパー(机上)ロケーションとGPSカメラ付き巡視端末を活用したリアル(現地)ロケーションを組み合わせて素早く構造物や樹木の空間モデルを仮想空間上に配置していく業務とその出来上がっていくリアル空間上で業務を遂行していける器の提供を目指したのでした。

 一見すると現在のグーグル・アースにスケッチ・アップを使ってデザインされたリアルな構造物を配置していくことに近いかもしれません。

 その点ではグーグルは一番私のニーズを汲んで潜在需要を顕在化しようとしてくれているのかもしれないと思ったのです。

 そして私はことさら今になってジャスト・マイ・ホーム(JMH)を懐かしく思い出すことになったようです。

 JMHで示したかった最大のハイライトはロケーション事業における効用の一つであるCALSの運営だったのですがそうは問屋が卸しませんでした。

 ハイライトを当てた積りのユーザー業務支援サービスに目が行かず、内部的な裏方業務である空間モデル構築業務にばかり視線が行くようでした。

 私とすれば裏方業務はその時点で可能な道具立てで取り合えず流しているのであってそれが解決済みであるとの仮定の上での支援サービスであるとしたのですがそうは取ってもらえなかったのです。

 目指す支援サービスは電力CALSであったり、仮想住宅販売システムなどだったのですが皆の目に映ったのは空間モデル構築サービスだったようです。

 そのことを貴重な失敗例として肝に銘じる意味でも我社のロケーション事業ホームページでは勘違いをそのまま残すことにしています。

 現在のグーグル・アースで提供されているサービスは業務向けとはされていませんがコンシューマーの意識を改革しプロがそうあらねばならない情況まで環境を変質させようとしているやに見えます。

 その点では私の説明力不足を補って余りあるのもがあり、大変ありがたい話です。

 そしてグーグルは多分私が我々のロケーション事業の優位性としていることには一切絡んでいないことも嬉しい限りなのです。 

2007年07月17日

私の夢の正体 (57)

 その晩のオーナーの話はまったく想像すらしたことがありませんでした。

 この年一杯でT社を徹底的にリストラし、新しい体制を総て私に任せると言うことだったのです。暫く私は言葉を失いました。

 太っ腹のオーナーがそこまで決断するには余程のことがあったのでしょう。その決断に当たり取引銀行とも相談されたようでした。

 その時に私のスカウト話も銀行の雰囲気で察しられたようです。なかなかの人でした。

 その晩オーナーが言われたことで印象に残ったことは只一つです。“会社と言うものは一度造ったら簡単に潰すものではない。細々とでも良いから何とか君が存続させてくれないか。君ならできると思った。”と言われたことです。

 特に強制されるでもなくお願いされるでもありませんでした。本当のT社の情況も細かい条件も言われずあっさりとしていたのです。

 大きな会社にしなくても良いが私の好きなことを実現できる会社として存続さえしてくれれば充分だそうで、多額の借入金などは総て長期の借入金に書き換え、もう貸してはもらえないが当分返さなくてもいい状態にするというのです。

 オーナーは例によって私が引き受けるものだと決め込んでいるようで特に駄目押しをする様子はありませんでした。

 その時の情況を私は今でもはっきりと覚えていますが一寸寂しげなオーナーの表情が少しずつ何時もの柔和な顔に戻っていきました。

 そして最後に“頼んだよ。”と言われて話は終わったのです。私の口からは何の返事も出ませんでしたがオーナーは決定したと言わんばかりの自信を持った態度だったのです。

 私は最早流れに任せようと覚悟を決めてしまったらしく妙にすっきりした気分でした。

 家に帰り今度はスカウトのことからこの晩のことまで妻に話しました。妻は一言“良かったね。”と言っただけでした。

 これが私の26歳、誕生日前後のことだったのです。

2007年07月16日

懐かしのジャスト・マイ・ホーム (1)

 我がロケーション事業に於いては自らがユニークな幾つものキラーアプリを内包しているが故の優位さもあり構築すべき仮想三次元空間ArisMapの構造や精度に見極めがついています。

 後は如何に安く早く目的の三次元空間モデルを構築するかに掛かっているのです。見極めがついているということは出来上がりの品質を見切れるということでありコスト高になる過剰品質は避けれることでもあります。

 ArisMapの構築とは一見すると地理情報システム(GIS)構築のようにも取れますし、コンピューター・グラフィックス(CG)の作成にも見えます。そしてまたコンピューター・エイディッド・デザイン(CAD)の作業とも取れます。

 だがそこが決定的に違うところなのです。つまりはGISでもCGでもCADでもなく、直感的に仮想三次元空間ArisMapを編集することにあります。

 個別業務で使うツールとしてのGISやCGやCADは全体業務の流れ、ワークーフローに則って連続してデータ共有されるものではありませんでした。

 少なくとも完成されたArisMapはワークフローの最初から最後まで業務プロセスのプラットホームとして存在し続けるものなのです。

 此処の説明と理解にまだまだ問題があり私が何時もやってきたことが現象面だけで理解され誤解を生む最大の原因だったと反省しています。

 そして今にして思えば私が最適なArisMap構築事例として実証的に始めたジャスト・マイ・ホーム(JMH)の空間情報サービスがあまりにも早すぎた故の失敗例かもしれません。

 失敗例と言いましたがサービスが上手く機能しなかったわけではありません。

 私はこのサービスによって社員やパートナーの皆さんに私が考えるArisMapやロケーション事業の本質を示そうと考えていたのですがそのことがまったくの空振りであった言うことなのです。

2007年07月15日

事業創造は資産運用か? (8)

 私のお気に入りの新事業は多分投資家の目から見て社会的な価値は認めても投資の対象としては面白くもなんともないでしょう。

 そこで私は考えました。私の新事業は私なりの事業資産価値は提示しますが私の運用するファンドはこの事業には一切投資しないファンドとします。

 一流のファンドマネージャーをスカウトして何処のファンドにも負けない立派な運用成績をあげます。だから少し多めの成功報酬型信託報酬を頂きます。

 そしてたっぷり頂いた信託報酬から私のお気に入り新事業に投資するのです。投資家の皆様には私の新事業からのリスクは受けないようにします。

 だが将来私のお気に入り新事業が立ち上がったら優先的にファンドに組み入れていくことにしようと思います。

 投資家の皆さんには現実的な運用益と将来的な意義ある夢を提供する独自のファンドを始めることしか道はないのではないかと思い始めたのです。

 こう思うと何時ものことですが善は急げとばかり行動するのが私の何時ものパターンです。

 先ずは証券化とは何ぞや、ファンドは何ぞやと知り合いに尋ね、少しでも自分で体験してみようとするのでした。

 そしてそれぞれの事業の現在価値を如何にして割り出すかと、これまた真剣に勉強を始めることになってしまいました。

 事業の証券化や特定目的会社を設立し事業ファンドの設立などとトラ研設立時には多少は勉強していましたから少しは取っ掛かりはありそうです。

 だが今回私が妄想しているファンドは並みの規模ではありません。純資産総額5兆円を超えるグローバル・ソブリンぐらいと比較して負けない運用益と人気を得ようとしているのかもしれません。

 私の新事業の社会的価値をおまけにすればできないはずはないと簡単に考える何時ものスタイルから始まるのでした。

 とりあえずはシアトルでファンド運用会社をやっている友人ポールに久しぶりに会いたいと思う身勝手さなのです。

 でも盟友田中さんのご母堂の格言“金のないのは首のないのに劣る。”がボディーブローのように効いてくる予感がしているのですが、、、、、、

2007年07月14日

私の夢の正体 (56)

 松本さんを通して佐藤さんから再度の会合のアポ取りがありました。だが今度会うと何らかの返事をしなければならないと思うだけに気が滅入り態良く引き伸ばしていました。

 このことは妻にも言わず私としては大変悩ましい日々が続いたのでした。

 何時もならまず妻に話をするのが常なのにこの件に関しては何故か私は自分ひとりで抱えこんでしまったのでした。

 特にT社を辞め誘いに乗りたいと思っていたわけではないのですがはっきりとした決断を引き伸ばしていることは確かでした。

 自分の中ではT社で自分の夢を探すことの可能性がかなり萎んでいたのかもしれません。

 東京への出張から戻った翌日、H部長が私にオーナーが話があるのでその晩空けて置くように伝えたのです。

 また何か厄介なことを言われるのではないかと心配に思ったのですが仕方がありませんでした。

 その晩はH部長も同席されるのかと思っていたのですがオーナーは意外にも私一人を馴染みの小料理屋さんへ誘ったのです。

 オーナーはいきなり私に“北銀の新しい計算センターから誘いがありませんでしたか?”と聞かれたのです。

 突然のことで私はドッキとしてしまいました。流石はオーナーです。銀行筋から確かな情報を得ていたようでT社の中からも引き抜きがある可能性は読んでいたようです。

 隠してもしょうがないと思い正直に事実を話しました。そして何もまだ返事はしていないことも話したのです。だがその気がまったくないとは言わなかったと思います。

 暫くしてオーナーは目的の話を始めました。だがその話の内容に私は思わず驚いてしまったのです。

2007年07月13日

事業創造は資産運用か? (7)

 新事業構築を資本政策の観点から心配しなければならないほど壮大な事業イメージが私の頭の中では形作られてきたのでしょう。

 My favorite businessと気楽に呼んでいた方が楽しさだけが前面に出ていました。だが今やあれは冗談ですとは言えない状態になったのではないかと私だけは思っています。

 それぞれの事業の将来価値を現在価値に置き換えて真剣に評価してみる必要があるのではないかと考えてみましたが総ての価値を客観的に評価できる人などいるわけがありません。

 多分評価に値しないとの評価が下されるでしょう。もし私と似たような評価を下す人がいるようなら私がこんな事業を掲げずともよいのです。

 それぞれの事業の将来価値は計り知れません。多分それぞれ10年後に上手く事業化が進めば少なくとも数十兆円規模の市場性があると考えています。

 またまた途方もないことを言っていると言われるに決まっていますが私はそう思っています。そうしたいと言っているのではなくそれ程大切なことをやろうとしている事業だと言っているのです。

 だから決して儲かると言っているのではなくそれだけの社会的な価値ある事業であり誰かが興さなければならない事業だと言いたいのです。

 儲けたいならば好きなだけ儲けても儲けすぎることはない事業でもあり儲けることが嫌になる事業でもあると思っています。

 私しか資産価値が評価できないのではないかと考えた時、それでは私以外の人が私のファンドを買ってくれるのだろうか?との不安が湧き起こってきました。

 私のお気に入りの新事業は総てひっくるめての現在価値はこれだけです。例えばこれを証券化し多くの方に買ってくださいと言っても果たして誰が買ってくれるでしょうか?

2007年07月12日

私の夢の正体 (55)

 オーナーに段取りをしてもらいながら満足な成果が得られず面目なく恥ずかしい思いと悔しい思いで一杯だったその年の10月に入りまたあの松本さんから会いたいと連絡が来ました。

 同じ話だと分かっていましたが落ち込んでいた私は会うことを簡単に承諾したのです。今回は直接彼女の上司である富山準備事務所所長の佐藤さんと会うことにしたのです。

 数日後の夕方三人でお茶を飲みながら話をしました。佐藤さんは北陸銀行の計算機部門におられて今回の子会社富山事業所の開設に向けて段取りをする役割を担っているとのことでした。

 これから北陸銀行の電算業務が拡大するのと取引先に向けての受託計算業務を開拓することから地元富山に自前の計算センターを稼動させることになったのです。

 インテックなどに負けない会社を作るため設立時からぜひ参加してくれないかと言われました。要するに引き抜きたいと言われたのです。

 駆け引きも無くあっさりとした言い方でしたので嫌味もありませんでした。落ち込んでいなければ“T社でさえ好きなことを好きなようにできるようになるのは何時のことか知れないのに銀行の子会社にいてそんなことができるわけが無いでしょう。”と言って即座に断ったはずです。

 その日の私はその様な生意気なことが言えず佐藤さんの話を一方的に聞く立場でした。

 松本さんが私のことを持ち上げたからこの話があったのでしょうが佐藤さんは私のことを知っているはずはないと思い込んでいました。

 ところが佐藤さんは“君の事は銀行の事務集中部でよく聞いているよ。根気強く通っているじゃないか。そして県庁からも来年からの入札の件は聞いたよ。”と言われたのです。

 流石佐藤さんは事業所を開設するに際して色々マーケティング調査をされていたようです。“君の力をぜひ貸してくれ。”と人誑しな点はTさん張りでした。松本さんはTさんが嫌いでT社を退社したはずでしたがその点は確認できませんでした。

 佐藤さんの熱っぽい勧誘は私には心地良い麻薬のようなものでした。私がもし一寸した条件を要求すれば即座に呑むような雰囲気を感じて少し焦ってきたのです。

 “君に夢があるなら一緒にこの新しい会社で実現しようじゃないか。”と言われ、ハタと困りました。夢を探しているのですから私には探せる会社じゃなければならなかったのです。

 何とかその日は話を終わることができましたがこのままでは済崩しに引き抜きに会いそうな予感がしてきたのです。それも良いかとさえ思っていたように記憶しています。

2007年07月11日

事業創造は資産運用か? (6)

 私のお気に入りの新事業は総てに核になる中心人物がいます。その人物が望んでいたり、私がその人にそうあってもらいたいと考えてそれぞれの事業の中での役割を設定しています。

 事業が真に立ち上がったならば必ずや彼や彼女に喜んでもらえるはずだと信じているのです。

 ロケーション事業では田中さん、タッキーライトサービス事業では勿論タッキーが、USAネットワークス事業では我が妻が、NSIネットワークス事業に於いては細川さんがいて、そしてIDSネットワークス事業の笠間さんです。

 それぞれの核になる方がそうしてくれと言ったのでは決してありません。

 どうにかしたいとのニーズを散々聞かされた私がそれぞれのベストソリューションと考えて創り上げたビジネスモデルなのです。

 少なくとも私だけは素晴らしいビジネスモデルだと自画自賛しているのですがそれぞれの核になる方々には多分充分には理解頂いていないと思います。

 ですから結果が見えたらこれは違うと責められるリスクはないことはないのですが妻以外はねじ伏せる自信はあるのです。

 それらのビジネスモデルは長期運用により日々成長しています。それゆえ第三者に話すことはほとんどなく私の頭の中で増殖を続けているのです。

 私が自分の三重人格に耐えられず役割を別け、然るべき人たちに分業していただく時が早く来るべきだと思ってはいるのですがこんなことを誰に何時のタイミングで話をするのかと考えるだけで億劫になってくるのです。

 特に最近資産価値の上昇が著しいロケーション事業などでは早急な投資配分の見直しが必要だと自覚はしています。

 そしてIDSネットワークス事業は本格的な始動を開始するにあたっての初期投資が幾らあっても構わないと思っています。

 ですからいまや私のお気に入り新事業の資本政策は待ったなしかもしれません。

2007年07月10日

私の夢の正体 (54)

 役所の業務委託が地元業者一社に随意契約で発注されているということの意味すらよく解らない私はとにかくチャンスをくれと言い続けていたのでした。

 お前のところは創業間もないから信用できないと言われたぐらいではへこたれません。それぐらいで引き下がっていては都会では仕事は取れません。

 益々やる気になって日参するぐらいになってきたときでした。兄が私を呼びつけて言いました。“来年には電算課の業務委託は入札になるそうだから業者登録の準備をしておけ。”と。

 役所の仕事は一生懸命営業してもらうものではなく価格と品質で入札を勝抜くものなのだと初めて知ったのです。業者登録をしても入札の指名に入らないと競争には参加できないのだとも知ったのです。

 “お前が一生懸命来るものだからそろそろ入札にするべきだと課長が判断されたようだ。”と兄は言いました。そこで誰かが嫌がられるほど動かないと役所の考えは変わらないものだと言うことも初めて知りました。

 これまでにまだ何も仕事を貰っていませんでしたが何か一つ勝ち取ったような達成感がありました。オーナーは喜んでくれるだろうか思って機会を見つけて報告をしたのです。

 私の報告を聞いてオーナーは珍しく微笑んでいました。“良かったね。ご苦労さん。”と言った後“だがよその根太アゲばかりしていては儲かりませんよ。”と続けたのです。

 入札になるということは多くの会社がこれから参加できるということですからそれらの会社に対して道を開いてあげたことだと言うのです。

 富山のような田舎ではこの時期コンピューター業務委託を獲得するのはやはり容易ではありませんでした。コンピューターが普及していないのですから委託してくれる会社は僅かです。

 それを必死に獲りに行くのですから迷惑に思われてもしかたがありませんでした。やはり自分で事業を興しコンピューターを活用した面白い事業運営を開発すべきだと痛感したものです。

 本当にT社で私のやりたいことが見つかりそして実現できるのだろうか疑問に思うことが時々ありました。今の私のように仕事で遊ぼうなどといった考えすらなくただただ頑張るしかないといった状態でした。

 若いときの苦労は金を出してでも買えと誰かに言われたことがありましたが買う金も無い時代に何を目標に頑張っているかが見えない事ほど情けないことはありませんでした。

 でも今では情けない悔しい思いを一杯してきたからこそ現在、仕事で遊ぶことを目指せるのですから自分は幸せだと心から思えます。だがその時にそんな風に思えるはずは無いでしょう。

2007年07月09日

事業創造は資産運用か? (5)

 私が五つの事業を同時に立ち上げる起業家であり、またそれらの事業に長期に渡って分散投資をするファンドマネージャーでもあり、その上そのファンドを購入する投資家でもあるとしたらどうでしょうか?

 そうすれば私は三重人格を持って日々楽しく遊んでいることになります。まだ遊んでいるといった境地には達していないかもしれませんが少なくとも楽しくはあります。

 どれかの立場に専念したいと思ったことは今までなかった筈ですからやはり私は三重人格が望みなのでしょうか?

 本業で稼いだ金をせっせとお気に入りファンドの購入に回し、分配金や信託報酬もないのに手弁当でファンドの運用を行い、そして投資を受けた総ての事業運営をやっているというのでしょうか?

 そんなことはできるはずがないと思えるでしょうが、だが現実にはその様に動いているのです。それぞれの役割(三重人格)をシームレスで変移することによって自分では違和感なく務めているのかもしれません。

 総ての役割において最小のオーバーヘッドで行われているからこそ長期運用ができるのかもしれません。

 私の場合多分一番苦手にしているのがファンドマネージャーなのではないかと最近考えるようになりました。その理由は簡単です。

 五つの新事業は総て好調でファンドの純資産総額はうなぎのぼりなのですが換金して分配金を払ったり自らの信託報酬が得られないからです。

 このことはファンド内部の組み換えに自由度がなく金でなく労力でバランスを取るしかないのです。

 こんなファンドマネージャーは誰もなり手がないでしょう。

 今後本格的に事業が動き出したならこの点が一番のネックとして私を苦しめるのではないかと要らぬ心配をするほど運用成果が挙がってきたのでしょうか?

 他人が聞いたら笑ってしまいますね。でも私には笑い事では済まない予感がしているのです。 

2007年07月08日

浜のおばちゃん提起の環境問題 (4)

 この度、工事が開始されることになった湾岸道路は“海辺の森林浴あん”の裏から北に1キロ近く延伸されるのです。

 当に昔の魚付林を総て切り倒して行くかのごとく建設されるのです。勿論昔のような鬱蒼とした森林は残っていませんがそれでもかなりの松林が消えてなくなる運命です。

 10年前に“海辺の森林浴あん”まで完成した湾岸線はかなりの松林を犠牲にしました。そのせいで厚みが極端に減少した松林は防風林の機能が著しく低下したことは否めません。
防風林.jpg
めっきり衰えた我が防風林、魚に申し訳なさそうです。

 西からの海風が強く吹く冬の季節には切通しになっている湾岸からの取り付け道路を雪が水平に東に吹き飛んでいくのが私のデスクから見える風物詩の一つになりました。

 いかに今まで松の防風林が沿岸の家々を冬の季節風から守ってくれていたのかが分かるようになった上、春や秋には沢山の魚を育んできたことも理解できました。

 子供の頃の記憶では夜に一人で海岸まで行くのが怖いほど鬱蒼としていてそれこそ狐狸のような野生の動物が生息していたようです。

 そして森林の木は何十年かに一度切り倒され家を建てる木材となり柴などは日々の燃料として貴重な資源だったはずです。確か風呂などは柴で焚付け松の薪を燃やして沸かしていたことなどは鮮やかに思い出されました。

 江戸の昔の魚付林はその比ではなかったでしょうが少し想像することが出来ました。このようは自然がなくなり魚が岸に寄り付かなくなった故に遠洋漁業に向わざるを得なくなったのでしょう。

 富山県、特に我々の黒部からたくさんの漁民が北の漁場の開拓に向ったのと魚付林が衰弱し、かっての沿岸の豊漁場が失われたのは時を同じくするのではないかと思えます。

 消えた場市の好漁場は再び戻ることはないでしょうが厚みの薄くなった防風林のひ弱さを日々実感している私です。

 この先北へと伸びる湾岸道路の効用とそれにて失う生活環境をもう一度考えてみることも大事ではないかと思うのですがこんなことを考えることなどなかっただけに不思議な気分がします。

 これも浜のおばちゃん効果なのでしょうか?

2007年07月07日

事業創造考も一周年

 今日は7月7日七夕です。あんの休憩室には数日前から色とりどりの手染めのTシャツが展示販売され差し詰め七夕飾りのような賑わいを演出していました。

 今日で事業創造考も365日目で明日が一周年です。
あんのTシャツ.jpg
毎年恒例のTシャツの展示即売、あんは場所貸しのみです。

 毎日飽きもせずウダウダと書いてきてもう一年が経ったのです。文章を書く訓練だと思って始めてみたのですが私の文章力は相変わらずです。

 だが書くスピードは格段に上がりました。考えずに書いているのですから早くなるわけです。

 今日は誰に向って書くかを決めると頭を使わなくても普通に話しているような調子で書けるようになってきたのは事実です。

 でもこんなことが出来るようになったら何か良いことがあるのか私には分かりませんでした。でもこれまでCMSの中で書いてきたことは時系列やカテゴリーで整理されていますから備忘録ぐらいの価値はありそうです。

 これからどんどん老人力が付いてきても今のうちから考えを文章にしておけば忘れた時はこれを持ち出すことでごまかせる可能性があります。

 先日、久しぶりに大学の同級生丹羽君に電話した時でした。

 私の“久しぶりだね。元気?”の問いに彼は“声を聞くのは久しぶりだけれど何時も話を聞いているようでそんな気はしないよ。”と言っていました。

 彼は毎朝会社にかなり早く出社するようで朝一で何時も私の事業創造考を読んでくれていたのです。

 そして私が何時も何を如何考えて何をしているかが手に取るように分かるのでしょう。私の頭の構造が見えるのかもしれません。

 などと言うぐらいの効用はあるのでしょうが私としては考えなければ文章が出てこなくなったら終わりにしようと決めたのです。

 来年の七夕まで続けようなどとは考えてもいません。でも皆さんの顔が見えるうちは多分続くのではないでしょうか。

私の夢の正体 (53)

 北陸電力からの受注を目指したテストに合格しなかったことによるショックは流石に大きかったのですが此処で泣き言を言っていても始まらないと思いました。

 秋になっても北陸銀行はどうも今一つ手応えが無いので力が入りませんでした。明快な拒否反応が無く、のらりくらりとした担当者の態度には私の営業技術では手の施しようがありませんでした。

 だがある日、件の担当者がポロリと一言漏らしたのです。“うちも計算処理の子会社を富山に置くようだよ。”と。だからそれまでは何を言ってきても無駄だと言っているのでした。

 そんなある日、以前T社を退社したキーパンチャーの松本さんから連絡がありました。一度会いたいとのことでしたので数日後の昼食時に食事を一緒にすることにしました。

 用件は彼女の上司が私に会いたいと言っているのでその仲立ちだったのです。彼女は当に北陸銀行の計算センター子会社に再就職していたのです。

 そしてその会社の富山支店が近々発足するに際してその準備事務所を開設したのでこれを機会にその所長がぜひ私に会いたいと言っておられるという訳でした。

 何か面倒なことになりそうに思った私は彼女に今は考えることがあって忙しいから当分は無理だと断ったように思います。

 彼女は残念そうに“所長はとても良い人ですから会うだけは会ってみたら。”と繰り返しましたがその時はとにかく断ったと思います。

 何としても残る県庁だけは何とかしなければオーナーに合わせる顔がないと焦っていました。ターゲットが一つになった分、私の攻撃は県庁の電算課に集中したのです。

 とにかく怖いもの知らずですから相手が嫌がるのも構わず訪問しました。担当の方も音をあげ課長代理や課長まで私を説得するようになったのです。

 彼らの言い分は県庁の電算化は緒に就いたばかりで大事な時期である。ゆえに素性の判らないところに業務を委託する余裕がないのでもう暫く待ってくれ。

 当に私は駄々を捏ねているように思われていたのでしょう。育成とか公平とかは大人が口にすることではないのでしょう。

 県庁に勤めている兄からも呼び出され、いい加減にしろと諭されました。それ程私の行動は役人には迷惑なことだったのでしょうか?

2007年07月06日

浜のおばちゃん提起の環境問題 (3)

 浜のおばちゃんの問題提起から此処まで調べてきて、我が“海辺の森林浴あん”の昔はそれこそ鬱蒼とした本当の森林だったのだと確信しました。

 隣地区、生地の郷土史家の故川端さんの記述によるとこの森林の木は直径五尺以上(1.5メートル余)もあり昼なを暗くて狐狸が棲みついていたようです。

 そしてその樹影が海面遠くまで蔽うことにより鯛を始め多くの魚の豊漁場となっていたのです。

 そして当時この森林を魚付林と呼んでいたことが分かりおばさんの主張は完全に私を納得させてしまったのです。

 今、ArisMapに当時の森林や海嶺、そして定置網を書き加えてみると驚くような色んなことが判明してきました。

 魚付林の樹影に蔽われた海底からは黒部川や片貝川、布施川の伏流水がこんこんと湧きあがっていて汽水化したところに多くのプランクトンが発生し、それを求めて沢山の稚魚が群がっていたことでしょう。

 そしてそれを狙って鯛や鮪や鰤が押寄せて来るのは当然のことだったでしょう。だから魚が美味しいといわれてきたことには訳があったのです。

 そしてこの鬱蒼とした魚付林も風雪災害などで枯死し、減少した時などは鯛等の漁獲が著しく衰退したことが何度もあったそうです。

 そんな時は加賀藩から松の苗が下賜され領民挙って森の成育に励んだそうです。

 だから裏の松林は只の防風林の役目だけではなかったのです。昔から当然のように魚付林の役目も担っていたのに何故現代ではその様なことが評価もされないのだろうかと不思議に思えるのです。

 漁師自身がそのことを理解しているのか疑問に感じるのですが少なくとも浜のおばちゃんだけは理解していました。

 だが私には話してくれましたがもっとそのことを何時も周りの皆さんに話し続けて欲しいものです。そして私も私なりにこのことをArisMapの上で上手く表現できるようになりたいと思った次第です。

2007年07月05日

事業創造は資産運用か? (4)

 思いがけず私に与えられた有給休暇のような三ヶ月の間に私はお気に入りの新事業達の概念を徹底的にブラッシュアップしました。

 そしてそれらの関連性も我田引水ではありますが徹底的に理論武装をすることができたと思っています。

 勿論本業との関連性や必然性、お客様へのメリットも当然のこととして説明できるだけの力がついたと自信を持ったのです。

 この自信がまた無茶な投資を続ける原因となるのですがこの時描いた新事業関連図を眺めてほくそ笑んでいたのでしょうか?

 3年前の五つの新事業は私が思うにコンセプトこそは立派ですが総てはまだ張りぼて状態でした。だがこの3年間の運用によって確実に資産内容が充実してきたのです。

 運用するといっても資金運用とは大きく違い事業資産運用は自分で汗をかいて回転させねばならないことは当然です。

 だからこそ本業との関連性、必然性、そして各新事業間の関連性が重要なのだと思います。それぞれが大言壮語の塊ですからそう簡単には転がりません。

 こっちを押してもビクともしない時はあっちを引いてみたりと忙しい限りです。でも一箇所が動くと面白いように各所が動き始めるなど楽しいものです。

 こんな時は天にも昇る気持ちで喜びを皆さんに分け与えたくてまた大忙しです。バランス良く分散したつもりが実は総て連動して動くのでは分散投資にはならないのかもしれません。

 分散投資の効用はリスクの分散にあるのでしょうが私の新事業投資に於ける分散効果は私の心のありように影響するのです。

 一つの新事業に入れあげすぎると時にはどうしようもない膠着が起きます。その時は直ぐに河岸を変えることが出来るぐらいの異分野の新事業が沢山あれば気も紛れストレスから免れるのです。

2007年07月04日

浜のおばちゃん提起の環境問題 (2)

 おばさんが提起した裏の防風林の歴史を含めて漁業への影響調査をしているところにまたまた湾岸の開発計画が具体化してきたのです。

 今回は我家の前を通っている県道のバイパスを本格的な湾岸道路として裏に貫通させようという計画が動き出したのでした。

 先週、今までの概略計画を詰め、実施計画を地元に説明する会が近々開かれるとの案内状が配布されてきました。

 “海辺の森林浴あん”を巡る朝晩の渋滞解決には朗報なのですが、現在防風林の漁業への影響を調べていた私は少し違った視点からこの計画図を眺められるようになったのです。

 そこで私は今までののんびりした調査を一気に加速させることにしたのです。

 特に江戸時代前期から昭和の初めまでの海岸の情況と漁業の賑いなどの変遷を時系列で確認することを急ぎました。

 “海辺の森林浴あん”は江戸時代は勿論加賀百万石の領地であり、地先の海は加賀藩でも有数の好漁場だったようです。

 鰤、鮪、鯨、鯛、鮫、鰆、シイラ、鱈、鮟鱇、鯖、赤魚、アオリ烏賊、鮭などが名産で加賀藩の御用魚として常に金沢まで直送されていたとのことでした。

 加賀藩への届書よると元文元年(1736年)には明らかに“海辺の森林浴あん”の裏の2百間余り沖合いには少なくとも3系統の定置網が仕掛けられていたとの記録があるそうです。

 現在も同じ位置に定置網が仕掛けられていますから漁業は長い歴史があるようです。

 そして沖合い800メートルには南北に連なる海嶺が横たわっているというのです。この海嶺は場市の堤といってその先は急激に1000メートルの深海へと続いています。

 場市の堤は昔から鯛の好漁場であったと伝えられていてその場市の鯛は藩主前田家へ「おやまのぼり」として献上されていたのです。そう言えば今でも時々1メートルクラスの真鯛が釣上げられると聞きます。

 そしてその海岸沿いにはなんと樹齢数百年に及ぶ松の大木が鬱蒼と茂った森林地帯であったのでした。

2007年07月03日

事業創造は資産運用か? (3)

 私は自分のお気に入り新事業を殊更持ち上げるつもりはありません。だが等身大でそれぞれの事業を語ると大概の方は呆れて暫く口を利かないのです。

 自分では長期運用を続けているせいで特別なことだとは思わなくなっているのでしょうが初めて説明を受けた方でそのまま素直に受容れてくださった方は皆無です。

 何度か話をして多少免疫ができた方が継続してお付合いをしていただいているのかもしれません。

 五つの新事業の構築に自分の力をバランスを取って振り分けることがそれなりに可能となったのには訳があります。

 三年前にHISSの新事業への挑戦が終了し私は自分で好きなことに好きなように取り組める境遇を得ました。そして現在のような“海辺の森林浴あん”の居候に納まったのです。

 3月には完全な移転を終了しサア頑張ろうと思った矢先に片山さんから“この先情況が変わるかもしれないから6月一杯までの三ヶ月間は仕事のことは考えずに雌伏しなさい。”と言われたのです。

 私が片山さんの言葉を自分なりに理解したのは、その時にはまた電力の人事などにより新しい風が吹くかもしれないし改革を目指しておられた安地さんの動向も定まるだろうと言われたと解釈したのです。

 とにかく仕事のことは暫く頭の中から追い出して、楽しくこれから新事業を如何しようかと考えることに日々専念することにしました。

 私のお気に入り新事業の大半はHISSが主体者の一つとして事業成果を享受できるはずでした。その様に安地さんは深く望んでおられたし、私もそうあって欲しいと思っていました。

 私にすればただただ勿体ないとの思いからこれらの新事業を当分自らが主体者として再構築し何時かは然るべき主体者に引継ごうと考えたのでした。

 片山さんから奨められた雌伏期間は私にとってはこれまでの仕事人生最大の充電期間となったのです。ありがたいことでした。

2007年07月02日

浜のおばちゃん提起の環境問題 (1)

 私の事業創造考で唯一登場を催促される人物がいます。

 それは丸中水産の浜のおばちゃんなのです。これまで何人かの方よりそれとなくその後のおばちゃんの消息を尋ねられました。

 私も最近分かったのですがおばちゃんはただの漁師のおかみさんでは無さそうなのです。何しろ話を面白くするのに必ず百人一首であろうと思える歌をお詠みになります。

 歌に例えてお話されるので私にはまったく意味が分からないことが多々あるのですが只者ではないのです。

 只々畏れ入っているのも癪な私はおばさんから以前指摘されていた裏の防風林の伐採についての功罪を少しずつ調べていたのです。

 そしてそのうちおばさんに調査報告し、また二人で環境問題を議論しようと考えていました。

 思い立ったら先ずは行動しないわけにはいかない私です。

 郷土史家や民俗研究者、考古研究者などが残した本を探しながら我が“海辺の森林浴あん”周辺の古代から中世、近代、そして昭和の初めに至るまでの地形、環境、産業、文化などの変遷を少しでも現在の地形に投影して理解しようと努めていました。

 おばさんが大好きな万葉集以前についても調べたり考察したりしているうちにこの地域が当時どのような情況だったかを自分でイメージ出来るようになってしまったのです。

 勿論、そんなことを言っては多くの研究家の方々から顰蹙を買うことは間違いないのですが此処だけの話です。

 そんな大それた話は又の機会にしますがおばさんの言ったカマスが獲れなくなった原因はやはり防風林の大量伐採にあったのだと確信できる記述を多く見つけることが出来たのです。

 “流石、浜のおばちゃんは凄い。”と大きな声で叫びたい気持ちを抑えながらの私の郷土史研究は大きな成果を挙げているのです。

 この調査作業は当にロケーション業務に他なりません。故にArisMapが大活躍することは当然なのです。 

2007年07月01日

私の夢の正体 (52)

 私の必死の営業が効いたのか北陸電力の中央計算所から漸く呼び出しが掛かりました。

 今度の窓口はデータ入力業務を担当しておられる竹島さんといわれる女性の方でした。彼女は私に上司からT社の実力をテストすることを命じられたと告げました。

 そして何度かのテストをした結果により業務を委託するか検討すると言われたのです。チャンスを与えるから頑張ってものにしてくださいとも言われました。

 私は試してさえもらえるなら勝算がありました。最早取引を開始していただけるものだと高を括っていたのです。

 竹島さんがT社に課した試験は2000件ぐらいのデータ入力業務でした。一日の納期でカードに穿孔して納めることになったのです。

 この時ばかりは細心の注意を払ったのです。普通はカードに穿孔した後、別の人が再度同じデータを入力しベリファイという検査をするわけですが、この時はそのベリファイを二度も行って慎重を期したのです。

 一回目の納入を済ませ結果を待っている間はそわそわとして落ち着きませんでした。穿孔課の皆も同じように気が気ではなかったようです。

 再度中央計算所に呼び出された時は竹島さんの口調は少し穏やかでした。“まあまあでしたから二度目のテストをさせて頂きます。今度も頑張ってください。”と言われ3000レコードぐらいの帳票を預かったのです。

 そして二度目のテストも無事に済み遂に三度目のテストが課されました。だがこの時は仕事が立て込んでいたこともあり万全を期しての再ベリファイを割愛してしまったのです。

 めったなことでは入力ミスは無いはずだと自信はあったのですが何故か一寸不安が過ぎりました。

 この予感はまさしく正しかったのです。数日後竹島さんから呼び出しがあり不安げに訪ねました。

 彼女は“私としては大変残念ですが弊社の基準には入りませんでした。”と言われたのです。最後のテストで数タッチのミスがあったというのです。

 最後のテストに万全を期さなかったことが悔やまれましたが最早如何しようもありませんでした。配慮に対して丁重なお礼を申し上げて引き下がるしかなっかたのです。

 皆も悔しがりましたが私も悔しくて堪りませんでした。だがこの時の悔しさが後にインテックを差し置いて電力の現場業務のシステム開発に関る原動力になったと思っています。